努力は不要:努力しないだけで葛藤・抑制とは無縁に生きられる

2019/02/20

イメージ 概念 気づき 観察 実践 利己的な私

t f B! P L




内部に二元性は存在しない



物理的には「高い低い」「明るい暗い」「暖かい冷たい」
という二元性は存在しますが心理面において
二元性は存在しません

私の中での大発見がこのことに気づいたことです

心を観察していく過程におけるこの発見は
私にとって大きなものでした

なぜならこの発見により
葛藤・努力・抑制が終焉したからです

努力することで優しい人間になれるのだと
信じて疑わなかった私の人生を
この発見が大きく変えたのです




気づき



私が発見に至るまでの過程はこうです

  1. 思考が理想をこしらえる
  2.  このせいで「実際の自分」と「理想の自分」
     という二元性が現れることになる

  3. 理想と自分の間で葛藤する
  4.  2つ以上のものが心にあると葛藤することになる

  5. 「理想」とかけ離れた自分に失望し不足感を抱く

  6. 「理想」に近づくべく努力奮闘する
  7.  打ちのめされては立ち上がって自分と闘う

  8. 理想は思考の産物だと気づく
  9.  自分が作り出したものに失望し絶望し
     不満を感じ葛藤・努力・奮闘していることに気づく

  10. 「理想は概念で事実ではない」ことを理解する
  11.  存在しないものを追いかけていたことを
     知って愕然とする

  12. 概念を持つから葛藤で苦しむのだとわかる

  13. 実際に存在するのは「現在の自分」だけであり
     その自分と向き合ってさえいれば
     努力は必要ないことがわかる

  14. 努力しないと葛藤も抑制も必要ないことがわかる
  15.  努力しなければ葛藤することは何もないので
     抑制も要らない

  16. この洞察から努力・葛藤・抑制が終焉する

※『自己矛盾の解決:葛藤を理解する
 『理想と現実のギャップに苦しまぬよう理想を手放す



皆さんも私と同じことをしてませんか?

もしそうなら私がそうしたように
長い年月を無駄にしないでください

理想をもつと必ず自分自身を傷つけてしまいます

理想をもつから葛藤するという事実を
しっかり見て理想・目標を捨てましょう

努力や葛藤、抑制のない自由な生を生きましょう

このような自由な生を生きるには
内面の二元性が終わらねばなりません

二元性が存在するかぎり葛藤は避けられないからです

※『葛藤は事実から離れるとき生まれる
 『内部に二元性はなくあるのはありのままの自分だけ




思考が思考者を作り出す



私たちは理想や目標を持つことで
二元性を作り出すだけでなく
自分から「わたし」を切り離します

・私は暴力的である
・私は強い欲望を持っている
・私は嫉妬深い
・私は依存している
・私は怒りっぽい
・私はケチである
・私は野心家である
・私は自己中心的である

これが全てであるのに
暴力性、欲望、嫉妬心、依存心、
怒りっぽさに染まっていない、
「わたし」を自分から切り離し
その「わたし」が感情を抑えたり
我慢したり、超越できるようにするのです



これについて詳しく見ていきましょう

私が短気で怒りっぽいとします

このとき「私」と「怒り」という性質は同じなのに
思考は怒りをコントロールできるよう
「わたし」という存在を作り出します


怒りに色付けられていない「わたし」が
まるで内部に存在するかのように
【思考】が一部を切り離して
怒りを抑制できる存在を作り出します

しかし....

「わたし」と「怒り」は別々の存在でしょうか?
「わたし」は「怒り」ではないですか?
「わたし」もまた「怒り」の性質を帯びてませんか?



自分が怒りの性質と同じであるのに
怒りを何とかしようとするとき、
何が起こるでしょう?

性質が性質を変えようとしていながら
それはその性質にとどまります

怒りという性質そのものである「わたし」が
怒りをコントロールしようとしても
怒りという性質は変わらないのです

※『怒りからの脱却



性質が即自分だとわかると
変えようとしたり抑え込もうと
することに意味がないことがわかります

それに性質が即自分だとわかれば葛藤は生まれません

2つ以上のものが存在するときだけ
葛藤は生まれるのであって
怒り=自分のとき葛藤が生じないのです

性質と自分が別々のときのみ
それを変えたり抑え込んだり
逃避することができます

そして実際には存在しない二元性の間で
葛藤して苦しむことになるのです

※『不毛な努力・不毛なコントロール
 『感情はコントロール・抑制できないもの



まとめ



思考が怒りっぽい自分から「わたし」を切り離し
その怒りを何とかできる存在を作り出しますが
事実は「わたし」は怒りの一部であるので
怒りを抑えることなどできません

この事実に気づくと『怒りをどうにかしよう
嫉妬心を抑えよう、依存しないようにしよう
無執着を実践しよう、非暴力を実践しよう』
とする「わたし」の運動は全て止みます

なぜなら「わたし」が怒りであり嫉妬心であり
暴力性であり、依存心であるとき
抑制できる存在などどこにもいないからです

こうして虚偽の二元性が消滅すると
そこから生じていた努力や我慢
抑制や葛藤は消滅します



「わたしは怒りそのものだから何もできない」
 ことに気づくとどうなりますか?

これまでは怒りをどうにかしようと
本に助けを求めたり意志の力で
抑え込むことにエネルギーを費やしてきました

しかし、何もできなことに気づいたあなたはもう
エネルギーを無駄にしてはいません

内部にはエネルギーがたっぷりあります

このエネルギーで怒りである自分自身を見つめます

途方もないエネルギーでなされるこの観察が
怒りを焼き尽くします

あるがままの事実(←怒りそのものであるあなた)を
見つめるとき、その純粋な観察があらゆる感情を
焼き尽くすのです

関連記事
怒り・暴力を観察する
気づき・アテンション
思考はコントロール不能
感情をコントロールしないで注視する
努力・目標・目的・理想の虚偽を見る
理想を捨てると誠実さ・正直さは花開く

☆☆

相談を承っております

詳細はこちらをご覧ください
オンライン相談について

このブログを検索

アーカイブ

自己紹介

自分の写真
真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ