真の瞑想とは動機のない瞑想

2019/02/27

権威 思考 方法 模倣 瞑想 問う 疑う

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瞑想をする時、動機はありますか?

思考をクリアにして仕事で良い結果を出したい・・
愛のある人になりたい・・
真理に到達したい・・・

そのような瞑想は、真の瞑想ではありません。

それは市場の取引と何ら変わりません。




望みのものを手に入れるために瞑想することは、
成功する為に仕事を頑張ることと同じです。

どちらも自分の目的の為の行動だからです。

真の瞑想は一切の動機なしに
あなたの内側と外側を観察することです。

あなたの思考の正体を、調べることです。
あなたの悲しみや苦しみ・孤独を調べることです。

あなたの理想や目標が、一体どこからやってきたのか、
忍耐強く調べることです。

あなたの自己中心性を調べることです。

そうして自分自身を理解するとき、
理解がもたらす洞察がその真偽を見て、
あなたを危険なものから遠ざけるのです。

これが真の瞑想です。






あなたの一つ一つの行動に
自己中心性が隠れていないか調べます。

真の瞑想とは川の流れのように、
一瞬としてとどまることはありません。

生の流れ全て(外の世界)に注意を払いつつ、
自分の内側に全的に気づいていることが瞑想です。




精神的権威である、グルや教祖・僧侶・司祭に、
頼っていては、瞑想は行えません。

いかなる宗教にも、属することはできません。

いかなる心理学者や心理カウンセラーから、
自由でなければなりません。

方法やテクニックから、自由でなければなりません。

というのは、これらに頼るとき、
あなたには必ず願望があるからです。

もしあなたに願望があれば、
『望みのものを与えよう』という愚かな声に、
あなたは従おうとします。

願望があるとき、あなたは必ず誰かから搾取され、
あなたは誰かに依存しようとします。

願望の背後には必ず恐怖が隠れているので、
恐怖があなたを誰かに依存させようとするからです。





『こうしなさい、ああしなさい』という声から、
専門家のアドバイスや社会道徳から自由でない限り、
あなたは自由ではありません。

あなたの内部はガラクタで一杯で、狭く限定されており、
自由のための空間がないからです。

あなたが踏み出す始めの一歩が自由でなければ、
何年瞑想しても自由にはなれません。

自由になるために瞑想するのではなく、
瞑想するにはまず既知のものから、
自由でなければならないのです。

瞑想とは杖なしで、自分の足で立つことです。





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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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