聴く・注視する

2019/02/06

関係 気づき 観察 思考 実践

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友人が話しているのを聴いている時、
あなたは次に何を言おうか考えながら聞いていませんか?

その時、あなたの思考は働いていませんか?

もしそうであれば、あなたは友人の話に注視できませんので、
完全に聴いていません。

知識・経験・意見という背景でもって人の話を聞くとき、
あなたは相手の言わんとしていることを
聴くことはできないのです。

背景がアクティブなとき、聴くこともありのままを
観察し理解することも、人と関わることもできません

背景とは、あなたの思考です。

あなたの頭の中のおしゃべりです。




このブログを読みながら「この部分は同意できるけど、
ここは違うな」とあなたの背景が意見するなら、
筆者が言わんとすることを理解することはできません。

あなたの理解は常にあなたの背景の色で
染まっているからです。

同意や否定なしに純粋に聴くことが大事なのです。




完全に耳を傾けて聴くとは、どういうことでしょうか?

全体的に観察し事実を理解するとは、
どういうことでしょうか?



モーツァルトの音楽を聴いていて「この曲は好きじゃない」
と頭の中のおしゃべりが始まった瞬間、
あなたは完全に聴くことができなくなります。

評価・判断するのは思考であり思考が働くとき、
私達は例外なく耳を傾けることはできません。

道行く人々の表情や着ている服を「あの色は嫌い/好きだ」
「あの子は僕のタイプだ」「何故あんなにつまらなそうな顔を
して歩いているんだろう」などと決めつけることなしに、
相手をありのまま観察することはできますか?

いつも好き嫌い・快不快に基づいて判断してしまいますが、
判断した瞬間に私達の観察は終わるのです。


関連記事:色眼鏡を外してありのままに見る




目の前の花をラベンダーだと認識した瞬間
目の前の花を観察することができません。

認識は思考なしには起こらないので思考が働いた瞬間、
あなたの目に映っているのは目の前の花ではなく、
あなたが過去に見たラベンダーなのです。

思考というフィルターがかかるので、
あなたは目の前のラベンダーを見ることはできません。

職場にあなたの苦手な同僚がいます。

あなたは彼についての結論をしっかり持っているので、
彼をありのままに観察することはできません。

彼が他の人に親切にしているのを見ても、
あなたには上辺だけ優しい偽善者としてしか映りません。




ですので道行く人を背景なしに、
つまり思考の動きなしに観察できるか試してみてください。

試しにやってみると招いてもいないのに、
あなたの観察を思考がことごとく邪魔してくるのが
わかるでしょう。

同じようにこのブログを読むときも、
思考をはさまずに読んで下さい。

受け入れたり否定したりせず、ただ読んで下さい。
友人の話を聴くときも、相手の話に聴き入るのです。

モーツァルトの音楽を聴くときも、
その音楽に耳を傾けるのです。



           
その時にのみ私達は、ありのままを観察し理解し
人間関係を築くことができるのです。

そのとき内面を歪みなく観察し理解することができるのです。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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