アクティブな脳は問う・ 疑う

2019/02/24

気づき 観察 瞑想 問う 疑う

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疑う脳、問う脳はアクティブで俊敏です。

刻刻と変わりゆく自らの感情や他者の感情に、
世の中の出来事に、気づいている脳は敏感で繊細です。

機敏で敏感な脳は、何事にもすぐに反応できます。

その脳はどこにも結論を置いていないので、
常に自由で思考に囚われません。

そのような脳だけが思考に限定されていない、
自由な瞬時の行動をとることができます。





あなたはどうですか?

思考に左右されない瞬時の行動をとることができますか?

どんなことにも瞬時に、反応することはできますか?

結論や意見や信念から自由ですか?


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あらゆることを問い探求していますか? 

私達の殆どはあまり疑うことをしません。

問うことをしません。


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私達の脳は半分眠っていて鈍感で、
生に即座に対応することができません。


そのような脳は退化します。

私達は組織・制度・方法・法則に対して、
疑うことも問うこともありません。

戦争・貧困・差別などの世界問題にも
そういうものだと自らを納得させて、
真剣に取り組むことはありません。

何もしないことは楽ですが、
これこそが脳を退化させるのです。

脳は動揺しないことが安全だと思い
伝統や経験にしがみつきますが、
過去である思考に基づいた行動は
どんな行動も限定されているので混乱を生みます。


動揺しないことが安全だと思ってそうしてきた脳は、
その行為自体が混乱を生むということに、気づいていません。



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私達はいかなる伝統も、疑うことがありません。

社会で良いとされる道徳の是非についても、
問うことはありません。

社会で奨励される野心・競争心・闘争心・
意志・努力の本質は暴力です。


しかしそれらを疑うことなく問うことなく、
私達は右にならって奨励します。

成功者を称賛しては次の成功者になろうと、
自らの夢や成功を求めて努力します。


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自らの思考・経験・理想・信念に対しても、
決して疑い問いただすことはありません。


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腐敗した社会の全貌を、見つめることもありません。

野心・競争心・闘争心・意志の力・努力という、
暴力性を奨励する社会は腐敗した社会ではありませんか?


平和を口にしながら軍事強化を怠らない社会は、
狂っていませんか?

しかし殆どの人は腐敗しているとさえ
感じないのかもしれません。

あるいは気づいていないふりをします。

このように見たくないものを見ないで生きている私達は、
腐敗した社会の中でどのように誠実に生きることができるのか、
調べることさえありません。


こうして疑うことなく問うことなく
生きてきた結果が今の社会であるのに、
私達は変わろうとしません。

現在の行動だけが未来を作るのに、
私達は依然として自らの信念・野心・成功・欲望を
満たすことしか考えません。

これがどういうことを意味するか、おわかりですか?

私たちが信念や野心、成功や欲望に奔走し続けるなら、
これからも自己中心的な世界を作り出してゆくのです。



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いつになったら、自らの行動を振り返るのでしょう?

いつになったら、私達は根本的に変わるのでしょう?

いつになったら、ありのままの自分自身を見つめるのでしょう?




問うことも疑うこともしてこなかった
私達の怠慢な脳には挑戦が必要です。

このような問いかけが、刺激が、必要です。

思考でこれらの問いに簡単に答えを出さず、
自分自身に問うてみて下さい。

そうして自分自身の脳を、アクティブに俊敏にして下さい。

でないと私達はあらゆる出来事に、
半分眠りこんた脳で対処することになるのです。


半分眠り込んだ脳では、
生の美しさにも人類の悲しみにも完全に気づくことも
理解することもできないのです。




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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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