疑う脳、問う脳はアクティブで俊敏です。
刻刻と変わりゆく自らの感情や他者の感情に、
世の中の出来事に、気づいている脳は敏感で繊細です。
機敏で敏感な脳は、何事にもすぐに反応できます。
その脳はどこにも結論を置いていないので、
常に自由で思考に囚われません。
そのような脳だけが思考に限定されていない、
自由な瞬時の行動をとることができます。
あなたはどうですか?
思考に左右されない瞬時の行動をとることができますか?
どんなことにも瞬時に、反応することはできますか?
結論や意見や信念から自由ですか?
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あらゆることを問い探求していますか?
私達の殆どはあまり疑うことをしません。
問うことをしません。
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私達の脳は半分眠っていて鈍感で、
生に即座に対応することができません。
そのような脳は退化します。
私達は組織・制度・方法・法則に対して、
疑うことも問うこともありません。
戦争・貧困・差別などの世界問題にも
そういうものだと自らを納得させて、
真剣に取り組むことはありません。
何もしないことは楽ですが、
これこそが脳を退化させるのです。
脳は動揺しないことが安全だと思い
伝統や経験にしがみつきますが、
過去である思考に基づいた行動は
どんな行動も限定されているので混乱を生みます。
動揺しないことが安全だと思ってそうしてきた脳は、
その行為自体が混乱を生むということに、気づいていません。
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支えている全ての杖を取り払う
私達はいかなる伝統も、疑うことがありません。
社会で良いとされる道徳の是非についても、
問うことはありません。
社会で奨励される野心・競争心・闘争心・
意志・努力の本質は暴力です。
しかしそれらを疑うことなく問うことなく、
私達は右にならって奨励します。
成功者を称賛しては次の成功者になろうと、
自らの夢や成功を求めて努力します。
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努力・目標・目的・理想の虚偽を見る
比較・競争・模倣・服従は暴力である
自らの思考・経験・理想・信念に対しても、
決して疑い問いただすことはありません。
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理想・概念を疑う、調べる
腐敗した社会の全貌を、見つめることもありません。
野心・競争心・闘争心・意志の力・努力という、
暴力性を奨励する社会は腐敗した社会ではありませんか?
平和を口にしながら軍事強化を怠らない社会は、
狂っていませんか?
しかし殆どの人は腐敗しているとさえ
感じないのかもしれません。
あるいは気づいていないふりをします。
このように見たくないものを見ないで生きている私達は、
腐敗した社会の中でどのように誠実に生きることができるのか、
調べることさえありません。
こうして疑うことなく問うことなく
生きてきた結果が今の社会であるのに、
私達は変わろうとしません。
現在の行動だけが未来を作るのに、
私達は依然として自らの信念・野心・成功・欲望を
満たすことしか考えません。
これがどういうことを意味するか、おわかりですか?
私たちが信念や野心、成功や欲望に奔走し続けるなら、
これからも自己中心的な世界を作り出してゆくのです。
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いつになったら、自らの行動を振り返るのでしょう?
いつになったら、私達は根本的に変わるのでしょう?
いつになったら、ありのままの自分自身を見つめるのでしょう?
問うことも疑うこともしてこなかった
私達の怠慢な脳には挑戦が必要です。
このような問いかけが、刺激が、必要です。
思考でこれらの問いに簡単に答えを出さず、
自分自身に問うてみて下さい。
そうして自分自身の脳を、アクティブに俊敏にして下さい。
でないと私達はあらゆる出来事に、
半分眠りこんた脳で対処することになるのです。
半分眠り込んだ脳では、
生の美しさにも人類の悲しみにも完全に気づくことも
理解することもできないのです。
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