何かに精神的に従ったり模倣するときには、
私たちは自分自身に暴力を振るっているのです。
社会の道徳や精神的信条、霊的権威に従うとき、
私たちはあるがままの自分を、
ある特定の型にはめこもうとしています。
あるがままを強制的に変えようとする行為は、暴力です。
嫉妬深いからと無執着を実践して自分を変えようとすることも....
暴力的だからと非暴力という概念を追い求めることも....
意志の力で欲望をコントロールすることも....
社会奉仕に励み、愛を育もうとすることも....
聖者と呼ばれる人やグルや教祖を模倣すること....
これは全て暴力的な行為です。
精神的に何かに従い模倣するとき、
私たちはあるがままから逃避します。
精神的に何かに従い模倣するとき、
私たちはあるがままの自分と、
向き合うことができません。
精神的に何かに従い模倣するとき、
自分自身を理解することはできません。
精神的に何かに従い模倣するということは、
自分を否定することなのです。
精神的に何かに従い模倣するとき、
事実より概念が大事になります。
精神的に何かに従い模倣するとき、
刻刻と変わりゆく自分という存在を、
死物である一定の型にはめこもうとしているので、
それは自分への暴力なのです。
誰かに従ったりマネしたりすることだけでなく、
比較や競争もまた暴力的な行為です。
私たちは自分と他者を比較します。
比べることで、優越感や劣等感が生まれます。
比べることで、自分への憤りや、
相手に対する憎しみや嫉妬を感じます。
これらの感情から、競争心や闘争心、暴力性が生まれます。
つまり誰かと比較し競い合うことは、暴力的なのです。
負ける人・傷つく人を生み出す競争は、暴力です。
あなたが勝つときには必ず、負けて苦しむ人がいます。
彼の悲しみはあなたに起因しているので、
あなたの行為は暴力的だということになります。
自らの内にある暴力性に、気づくことが大切です。
正当化や批判はせず、あなたの暴力性を観察しましょう。
そうすることで暴力性の全構造と、
それがもたらすものを理解することができます。
その理解が内なる暴力性を終わらせます。
強制的にではなく努力するのでもなく、
あなたの理解が、内なる暴力性を終焉するのです。
関連記事
怒りの消滅
怒り・暴力を観察する
比較・競争を手放し劣等感・攻撃性・嫉妬から自由になる
劣等感、自己否定、自己嫌悪、妬みの原因は「人と比べる」ことにある
☆☆
相談を承っております
詳細はこちらをご覧ください
→オンライン相談について
0 件のコメント:
コメントを投稿