動機がある瞑想では悟ることはできない
インドにこんな物語があります
ある弟子が師に尋ねます
「真理に至るにはどうすればよいのですか?」
師は石を2つ手にして突然こすり始めました
不思議に思った弟子は言います
「師よ、あなたは一体何をされているのですか?」
師は答えます
「石をこすり合わせて鏡を作るつもりだよ」
呆れて弟子は言います
「師よ、どれだけ頑張っても石で鏡を作るなんて
絶対に無理です」
真剣な面持ちで師は答えます
「その通り! お前がどれだけ必死に瞑想しようと...
わかるかな?」
真理はエゴを落とすとそこにある
真理を掴みたい、永遠なるものに出会いたい
時間を超越した何かに至ろう、悟りたい...
このように願望や動機をもって瞑想しても
永遠なもの・時間を超越したものに
出会うことはできません
なぜなら願望・動機があるということは
あなたはまだエゴを手放していないからです
願望=エゴ、動機=エゴです
エゴが消滅しないことには真理を掴めません
※『真の瞑想には動機はない』
『瞑想は思考・願望とは無関係である』
真理は意図的に招き入れることはできない
あなたの中心にどっしり座っている
エゴが止まないかぎり何をしようと無駄です
ふさわしい土壌に作物が実るように
あなたの土壌が適切でなければなりません
真理は意図的に招き入れることのできるものでも
求めることで手に入るものでもなく
あなたの土壌が適切なときに自然に訪れるものです
※『瞑想を行う前にやること』
心を見つめて不純物を取り除く
だから心を調べなければなりません
不純なものがあれば取り除きましょう
あるがままの心を見つめて一切の不純物が
取り除かれたときあなたは新たなものに出会います
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