自己は巧妙に隠れています。
自己は沢山の仮面を持っています。
貧しい国でボランティアをする
いわゆる無私の奉仕といわれる
行為の中にも自己は隠れています
信仰心を持つことによって
慈悲深い人間になろうとしたり
神に対する愛から奉仕に身を捧げたり
しますが彼らの中には概念に執着する
自我が隠れています
関連記事:利己性は巧妙に隠れている
瞑想という仮面を持っている人もいます
瞑想しているから自分の精神性は高いし
スピリチュアルだ、という仮面です
『真理に絶対に到達するぞ、悟るぞ』
と言っている存在こそ自己です
どんな聖者であろうとその人が
無執着や無所有、非暴力や禁欲を
実践しているなら彼の行為の背後に
エゴが隠れています
※『理想(概念)を追い求める人に愛はない』
僧侶の衣服も仮面です
組織の規律に従い、神の現れである
人類奉仕に一生を捧げますが
理想やイデオロギー、神という
イメージに自己を捧げるわけなので
自己は概念とピッタリと一つになっています
そこには概念に執着している自己がいます
それは概念と一体化しているので
一見存在しないように見えますが
神という名の陰に隠れて
自己は激しく活動しています
僧侶の衣服が何色であろうとそこには
伝統という鎧をかぶった自己がいます
※『一体化について』
「人を助けたい、良いことをしたい」
と思っている人も良い人の仮面をかぶっています
彼らには『あるべき姿』がハッキリあって
それに近づこうとする自己が「人を助ける」
機会をいつも探しています
『人を助ける』ことから生まれる快感や
人からの感謝や評価が原動力なのです
※『利己性とエネルギー』
『人を助けたい・役に立ちたいという願望』
『人によってなぜ態度を変える?なぜ仮面をかぶる?』
前回の記事でお話ししたように、
私たちには懐疑心が必要です
利己心から行動してないか
疑ってみることが大切です
自己がどこに隠れているのかを
はっきり見てとる瞬発力のある頭脳が必要です
そのような活動的な脳をもっていさえすれば
見せかけの善に騙されることはありません
だからここに書かれていることも疑ってください
※『善行・偽善について』
受け入れたり拒絶したり批判するかわりに
私の言葉の真偽を自分で確かめてください
誰にも頼らず、誰の見解にも振り回されず
いかなる結論も偏見ももたず、自分で
答えを見出すことの大切さを理解しましょう
答えを見出そうとする脳は目覚めているので
物事の真偽を見出すことができます
※『専門家が脳を鈍くする』
『結論に至ってはいけない理由』
『頼らない、従わない、依存しない』
☆☆
相談を承っております
詳細はこちらをご覧ください
→オンライン相談について
0 件のコメント:
コメントを投稿