自己矛盾の解決:葛藤を理解する

2019/05/07

葛藤 矛盾 混乱 逃避 比較 分離 利己的な私

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私たちはどのようにして自分の内部が
分裂していることを知るのでしょう?

よく考えてください
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内部が分裂していることを理解するのは
あなたが葛藤しているときではないですか?

自分の心にまとまりがないことを知るのは
葛藤や痛みを感じるときだということを
これから一緒に見ていきましょう

バラバラな心


ある欲望とある欲望が対立するとき
心は欲望と欲望に分裂しているということになります

だから欲望と欲望が対立するとき
あなたは心が断片的であることを理解することができます

対立するということは内部に2つ以上のものが
あるということだからです

心がひとまとまりなら対立することはないですし
葛藤に苦しむこともありません

※『分離のあるところ葛藤がある
  を併せてお読み下さい



例を挙げてみましょう

  • 痩せたい vs.食べたい
  • 安定した職に就くために勉強する、でも遊びたい
  • 恋人が欲しい vs.沢山の女性と付き合いたい
  • 嫉妬したくない vs.嫉妬する
  • 仕事したくない vs.お金は欲しい
  • 寂しい vs.ひとりでいるのが好き
  • 性格が悪い vs.優しくなりたい
  • 成功したい vs.無欲になりたい
  • 理想の自分 vs. 実際の自分
  • 仕事の顔 vs.家庭の顔
  • 不幸せなのに、幸せだと自分に言い聞かせる
  • 孤独なのに「みんな1つである」と主張する
  • 神を信じる自分 vs.信じない自分
  • 真我 vs.自我

このように心のなかで思っているもの同士がぶつかるとき
私たちは葛藤したり苦しんだりします

つまり葛藤や苦しみ、願望があるということは
心がバラバラである証拠なのです

心がバラバラだから人は葛藤するのです

私たちはこのように葛藤を通して自分の心が
分裂していることを理解することができます

外側で起こっていること


では私たちの外側では一体
何が起こっているのでしょうか?

  • 宗教同士の争い
  • 国と国の争い
  • イデオロギーの対立
  • 思想・意見・主義主張の対立
  • 社会階級の対立
  • 人種の争い
  • 貧富の差
  • コミュニティ同士のもめごと

内にあるものは外に必ず現れる


内面がバラバラであるとき
私たちは必ず外側に混乱をもたらします

なぜならまとまりのない心がとる行動は必ず
分離や衝突をもたらしそこに混乱が生じるからです

心の中の世界も外の世界もバラバラだというわけです

しかし自称スピリチュアリストらは
こう主張します

・あなたはそのままで完璧だよ
・私たちは1つだ
・あなたは愛そのもの
・世の中は幻想だ


※『【あなたは完璧】の落とし穴

過去に掴んだ真理は現在の真理ではない


100歩譲って彼らの教えが限りなく
真実に近いものだとしてもそれは推測の域を出ません

というのは心の断片化が一掃されなければ
私たちは全体を認識することはできないからです

自称スピリチュアリストの心が私たちと同じように
バラバラであるにも関わらず『人類は1つ』だと
言ってもそれは観念でしかないのです

彼らの教えが実体験に基づくものであっても
それは過去の真理であり今というこの瞬間に
存在する真実ではありません



海水を手に掬った瞬間、もうそれは海ではないように
体験を通して結論に至った瞬間、それは真実ではありません



真実は瞬間瞬間にみられるものです

1度垣間みた真理体験にしがみついていては
今というこの瞬間の真実に触れることはできません

だからどのような人物の主張も観念も
信じてはならないのです



それに葛藤に苦しんでいる人に
「全て幻だから心配いらない」と言っても
彼の苦しみが消えるわけではないでしょう?

実際に苦しんでいる彼に、どのように苦しみは生まれて
どうして葛藤するのかを示さずして耳ざわりのよい観念を
植え付けても彼の苦しみが止むことはないのです

※『本当の自分、純粋な自分?

断片は全体を理解することはない


心にまとまりがないというのに一体どうやって
全体を理解することができると言うのでしょう?

葛藤を抱え混乱しているのに「自分は完璧である」と
マントラのように唱えても葛藤はなくなりません

パズルのピースを穴が開くほど見つめても
パズルの全貌は理解できないのと同じで
1つの断片がどんなに素晴らしい理論を
思いついても断片が物事の全体を
理解することはできないのです


心がひとまとまりにならなければ
物事の本質を掴むことはできません

ですから心の断片を取り除きましょう

※『事実と向き合うと葛藤は消える

断片が葛藤を生む


心の断片を取り除くには
事実と向き合わなければなりません

ここでいう事実とはあなたの心はバラバラであり
「全体」でも「1つ」でもないということです

全体で1つならあなたが葛藤などしないからです

全体であるとき葛藤を引き起こす断片は
心に存在しないからです

だからあなたの内側は分裂しています

これが事実です


事実と向き合う


私たちは事実に直面することをためらいます

観念は私たちに希望や安心感を与えてくれますが
事実はときに失望・落胆させるからです

書物や映画は気分を上げてくれます

私たちの惨めな生き方をしばしの間
忘れさせてくれます

本が失望しかもたらさないなら
いったい誰が本を読むでしょうか?



同じように観念はあなたを慰めてくれるかもしれません

「変わらなくていいんだ」
「私は今のままで完璧なんだ」と
 思わせてくれるかもしれません

しかし概念はあなたをどこへも連れていってはくれません

それどころか概念をもつとあなたは
事実をありのままに見れなくなってしまいます

そして事実を観察できなければ周りで起こっていること
周りにいる人々のことをあなたは理解できません

だから推測や概念を片づけましょう

事実以外のものを捨てるのです




冒頭の質問に戻ります

内面が分裂していることを理解しましたか?

それともそれはあなたにとって単なる概念ですか?

内面の分裂を事実として見た方は
「で次は?」と思うことでしょう

ですから次の投稿では「その先」を探究します

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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