ナッシングネス・空っぽと思考

2019/02/08

思考 実践 利己的な私 理解 洞察 事実

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どのくらいの時間『一人』でいられるでしょう?




「そんなのいくらでも居られるよ。っていうか一人の方が楽だし」
という声が聞こえてきそうですが何もしないで一人でいるです!

読書や音楽・映画鑑賞、テレビやゲームやスポーツ、
家事や料理などで忙しくしていると、
時間はあっという間に経ちますから簡単です。

しかしこれら一切を行わない一人の時間を、
あなたはどのくらい過ごすことができますか?

試してみてください。

数分もしないうちに落ち着かなくなり、
思考があなたを突っつくのを発見するでしょう。

「ボーっとしてる場合じゃないよ、時間が勿体ないじゃないか、
つまらないことしてないで楽しもうよ」
という風に思考はけしかけます。




私達は常に何かで一杯です。


仕事に、趣味に、家族の世話に、快楽を満たすことに、
そして自分自身の思考に、私達は常に一杯です。

だから何もしないで一人でいることが、
できなくなっているのではないでしょうか?

空間の必要性については以前の記事で触れましたが、
一人でいる時間もまた必要ではありませんか?

常に何かに従事するのではなく、
静かに一人で過ごすことも必要なのではないでしょうか?

一人の時間を持たずして、
自らを理解することはできるでしょうか?


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では自分自身を理解する為に、

私たちが『私』と呼ぶものが何かを一緒に見て行きましょう。


あなたが『私』という時、それは何を意味しますか?

あなたの名前、築き上げてきた地位、名声や財産、
これまでの経験、属する宗教や信念、野心や理想、
意見や知識、欲望や恐れ、怒り、家族や国籍、
あなたを美しく飾る洋服や宝石、家や車や時計、
これまで積んできた努力や徳 etc.....

これら全てが、あなたの中身ではないでしょうか?

これら全てを取り去った時、
あなたと筆者を隔てるものはありますか?

勿論あなたと筆者の外見は違います。

しかし外見の違い以外に、私達に違いはありますか?


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あなたと筆者を隔てるものが、上記に挙げたものだと
いうことを真に理解する時、あなたはそれらをそっくり
片付けてしまわないですか?

なぜなら分離こそが、私達のけんかや争い、
戦争の原因なのですから・・・

あなたと筆者の間の分離が、世界のあらゆる争いの根源
であることを、はっきりと見るなら、
あなたはその危険から離れませんか?

あなたを構成する中身が分離の原因であることを実際に見るなら、
これらをつぶさに調べ、危険を察知して離れないでしょうか?

その時、あなたは自らを日本人だ、
仏教徒だ、○○に属しているとは言いません。

それらが人を分離させると、理解したからです。




利己性が、あらゆる分離・対立・憎しみ・悲しみの

根源だという事実を見たあなたは、

もはや今までと同じように生きることはできません。


今やあなたは、世界の出来事の全責任が
自分にあることを理解しています。

だから、自分のとる全ての行動に敏感です。

その精神は繊細で鋭敏で目覚めています。

あなたが正しい行為を行うのではなく、
利己性の全構造についての洞察が行動をもたらすのです。





あなたという中心があるとき、
その中心からとる行動には限りがあります。

コンパスで円を描く時のように円の大きさ(行動範囲)は
変わっても、常に中心(あなた)は存在します。

この中心(あなた)が存在しない時、
行動には境界がありません。

中心が存在しない時、
あなたと筆者を隔てるものはありません。

中心が存在しない時、全方向に無限の空間があります







いかに『私』という中心を黙らせるか、
力でねじ伏せるかではありません。

厳しい苦行で、いかに利己心を克服するかが問題でもありません。

重要なのは、自分の利己性を理解することです

自分の中心、内なる利己性を歪みなく見て、
それがもたらすものを理解する時、
その洞察が利己性を、中心を終わらせるのです。





何もしないで一人でいるとは、中心が不在の状態です。

私達には元々、何もありません。

ナッシングネス・空っぽです。

名前や知識その他諸々私を構成しているものを取り除いたなら、
空っぽではありませんか?

しかし思考はこれを認めません。

思考は動いていなければ、生きられないからです。

あなたが何もしないでいるとき、抗うのは思考なのです。

ですからあなたの正体である思考を、調べ観察するのです。




考えないように、思考を制御しようとしても無駄です。

思考があなた自身なのですから、
あなたはそれを抑制することはできません。

代わりに、思考の正体であるあなたを丁寧に調べるのです。

そのとき何が起こるのか、ご自身で観察して下さい。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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