私達は常に何かになろうとしています。
そして、そこには必ず努力があり強制があり葛藤があります。
「実際の自分」と「なりたい自分」という、
この二元性がある限り葛藤が終わることはありません。
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しかし心理的な二元性は、本当に存在するのでしょうか?
あなたの思考が「今のままではダメだ」と理想を作り出し、
あなたは理想を追い求めます。
つまり、あなたは自らの思考の投影物である
理想を追いかけているのです。
それは犬が自分の尻尾を追いかけまわしているようなものです。
しかしあなたはそれを非常に真剣に行っているのです。
あなたはあなたの思考そのものであり、
思考が投影するものは全てあなたであると理解する時、
全ての二元性が消滅します。
そこには努力も強制も葛藤も実践もプラクティスも、
存在しません。
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内部に二元性は存在せずあるのはありのままの自分だけ
理想や目標を持たずにどのようにして生きるの?
何かになろうとしないで人は成長するの?
何かになろうとすることを止めてしまったら
無気力になるんじゃない?
植物人間にでもなれって言うの?
あなたはこう質問するかもしれません。
私達が知っていることは、何かになりゆくことだけ!
私達から『何かになりゆく行為』を取ったら何も残らないのです。
何かになりゆくこと、頑張って何かを手に入れようと
努力することしか、私達は知りません。
それなしに、どう生きていけばいいのか私達はわかりません。
脳は長い間、社会や文化、宗教を通して、
何かになりゆくよう条件づけられてきました。
『より良い人間になろう、優しく思いやりのある人間になろう、
お金持ちになろう、地位や名声を手に入れよう、
真理に到達しよう、特別なパワーを手に入れよう、
世界を支配しよう、強靭な肉体を手に入れよう、
全ての感覚器官を制御しよう』と上へ上へ長い階段を登りながら、
私達が生きてきましたので、脳は条件付けられ、
限定され狭い考え方しかできません。
その限られた思考が生み出すものは混乱です。
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何かになりゆくことの虚偽を見るとは、
自らの限られた思考のどんな動きも限定され分離を生み
衝突・葛藤を生むことを理解することです。
そして自分自身の内部をそのありのままに見ることで、
それは一掃されるのです。
ですから何かになりゆく行為をやめて
自分の好きなように生きればいいというような、
ニューエイジ的なことを言っている訳ではありません。
あるがままを理解するには、
ものすごいエネルギーと誠実さが必要なのです。
理解されるとき、理解があるがままに変容をもたらすのです。
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熱烈な観察が、内部を焼き尽くすのです。
ですから「何かになろうとしないでどのように生きるんだ」
とは尋ねないで下さい。
あなたの向かう先が安全かどうかを確認してから
行動するのではなく、自らの思考の限界を
しっかりと見つめるのです。
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自らの内部を観察するのです。
山に登った者だけが頂上の景色を見ることができるように、
観察する者だけがその先を知ることができます。
なりゆく行為なしにどのようにして生きることができるのか、
知ることができるのです。
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