自己知識とは自己に対する絶え間のない学び

2019/08/01

気づき 観察 思考 利己的な私

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「自己知識は重要だとあなたは言っておきながら、
 あらゆる知識は限定されその性質ゆえに
 葛藤や衝突をもたらすと言います。
 これは矛盾しているのではありませんか?」

このようなメッセージをいただきましたので、
一緒に調べていきましょう。


一般的な知識


一般的な知識というのは、
既知のものが脳に記憶として蓄積されたものです。

この情報は必要なときに、
記憶から引き出されます。

学校で習うことや会社で学ぶことは、
私たちにとっては新しい学びで、
初めての経験であるかもしれませんが、
それは幾世代もの人々が積み上げてきた知識なので、
このような知識は常に過去に根ざしています。

つまり一般的な知識は既知のものです。



自己知識


一方、自己知識というのは、
自己について絶えず学ぶことなので、
既知のものを学ぶ一般的な知識とは違い、
起こりつつあることを学びます。

なぜ起こりつつあることかというと、
生きている私たち人間は、
刻々と変わりゆく生き物だからです。

ですから自己に対する学びは一般的な知識とは違って、
未知のもの・新たなものを学ぶことであり、
その知識は過去に根ざしていません。

自己知識は自分についての知識を蓄積し、
後にじっくりそれを分析する、
というようなものではありません。

自己知識とは蓄積するものではなく、
自らの内部の動きを観察して、
あるがままの自分を刻々と発見することなのです。

あらゆる出来事に対する、
自分の作用・反作用を注視することにより、
その都度新たな自分に出会うのです。


自己を観察する=自己を学ぶ


自己を刻々と観察することによって、
日々自分自身の新たな一面を学ぶことを、
自己知識をいいます。

極論すると一秒前の学びを知識として、
蓄積することは学びでも自己知識でもありません。

というのは一秒前の学びは既に過ぎたことであり、
今この瞬間のあなたは、
一秒前のあなたとは違うからです。

自己に対する膨大な過去の情報を集めることによって、
あなたは自分自身のことを、
理解した気になるかもしれませんが、
それは過去のあなたの言動であり、
現在のあなたを明らかにするものではありません。

自己というのは過去の知識をできる限り蓄積して、
理解できるようなものではなく、
刻々と変わりゆく思考や心の動きを、
観察することによって初めて理解できるのです。


刻々の観察=刻々の発見


このように自己を理解するには、
刻々の観察による刻々の発見がなければなりません。

一時間前であれ一年前の自分についての知識であれ、
あなたが過去を引きずっていては、
現在のあなたについて、
新たなことを発見することはできません。

たとえ一時間前の観察だとしても、
過去という色眼鏡をかけて現在の自分を見るなら、
その観察は一時間前の観察の色に染まるので、
精確ではありません。

過去を落として観察するときだけ、
あなたは新しい自分を発見できるのです。

ですから生きているものについて学ぶには、
その対象を刻々と観察することが重要なのです。

生きているものについて学ぶ際には、
既知の情報は現在における観察を歪ませるばかりか、
対象についての理解を阻んでしまうので、
気をつけましょう。

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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