あることに集中しているとき
私たちはそれ以外のことを排除しようとします
なぜなら『集中』とは狭め制限していくことだからです
あなたが勉強に集中しなければならないとき
外で遊んでいる仲間と一緒に遊びたいと思っても
何とかガマンして目の前の勉強に集中しようとします
試験や仕事において集中することは必要かもしれませんが
瞑想のような心理的側面において集中することは
必要なのかどうかをこれから見ていきましょう
集中力を必要とされる瞑想
多くの人がやっている瞑想に集中力は不可欠です
ある特定の呼吸法を実践したりマントラを唱えたり
特定のイメージや偶像、チャクラに集中することで
思考を制御することが一般に実践されている瞑想の狙いです
しかし1点に集中しようとしても
思考は次から次へとジャンプします
瞑想者は別の思考が浮かぶや否や集中したいポイントに
戻すわけですからこれには絶え間ない努力が必要なので
この過程において瞑想者の心に葛藤が生じます
思考者と思考との闘いが起こるのです
勉強しなきゃいけないけど遊びたい
瞑想に集中して思考を制御したいけど
コントロールできない自分がいて
フラストレーションがたまる....
このように『集中』は内面に分離を作り出し
葛藤を引き起こしてしまいます
※『努力・葛藤のない自由な生』
集中・努力・鍛錬は暴力である
あるがままに手を加える行為は一種の暴力です
集中だけでなく模倣、何かしらの方法の実践
精神の鍛錬や努力はどれもあるがままのあなたに
圧をかけることであり、それはありのままのあなたを
否定することなので自分自身に対する暴力と言えます
優しさが足りないからと優しくなるための方法を
実践するときあなたはあるがままのあなたを否定しています
優しさという型に無理やり自らをはめこもうとする
行為は暴力以外の何物でもないのです
※『比較・競争・模倣・服従は暴力である』
『努力・目標・目的・理想の虚偽をみる』
気づきは全てを包み込む
一方、気づいていること、観察・注視することは
集中ではありません
気づき・注視・観察は集中とは違います
なぜなら集中には必ず方向がありますが
『気づき』には向かう方向はないからです
方向があるということはそこには必ず
集中するための動機や目的が存在しますが
気づきとは『集中』のように定まった点が
あるわけではなく全方向に気づいていることです
では集中するかわりに全的に気づいているとは
どういうことかを見ていきましょう
『気づき』を実践してみよう
あなたは全的な注意を払って勉強していますが
友達が遊んでいる外の様子が気になり始めます
気になり始めたらそれを意図的に変えようと
するのではなく外で遊んでいる友達に全注意を傾けます
そうするとまた別のことが気になり始めます
そうしたらまたそのことを完全なる注意を払います
こうして意識が【あること】から【別のこと】に移ったら
それに完全なる注意を払うことが「気づく」ということです
食べるときには食べることに完全なる注意を払い
歩くときにはそれに、ある思考が頭をよぎったら
その思考を注視するというように行為の1つ1つに
完全なる注意を払うことが『気づく』ということです
こうして行う『気づき』に努力は必要ありません
努力ということをしないので
努力にはつきものの葛藤が生じることもないので
葛藤から生まれる「苦しみ」や「イライラ」とも無縁です
集中はあなたの意識を狭め制限しますが
全的な注意はあらゆるものを包みこみ
決して排除することはないので
苦しみの根源である「すべき」と「事実」
という分離を築くことがないのです
※『事実と共に生きると【苦しみのない人生】が手に入る』
観察が観察されるものを解体する
自分には優しさが足りないなと感じるのなら
優しさを欠いた心を見つめましょう
あるがままの心を注意深く観察すると
心を曇らせていた感情は消え心は晴れやかになります
このように精神面での変容に不可欠なのは観察で
努力や模倣、特別な鍛錬法ではありません
光をどこかから持ってこようとするのではなく
暗闇を取り除いたら光はそこにあるものなのです
あなたの心の暗闇を理解しないで光を求めても
心に光(優しさ)があらわれることはないのです
ですから心にないものを心の外に探し求めるのではなく
心の中を見つめて闇を取り除きましょう
あなた自身の心を理解できさえすれば
危険な場所にあえて近づかないように、
心を曇らせているものからは自然と離れるでしょう
気づきに訓練や方法はない
ここまで読まれたあなたは「気づき」に興味をもち
気づくために必要な技術や法則、訓練法を
探し求めようとするかもしれません
しかし「気づき」に方法なんてありません
大好きな人を見つめるのに
どうやって見つめたらいいのと
誰かに方法を尋ねることはないでしょう?
それと同じでただあらゆることに気づいていればよいのです
気づきが重要であることを理解したなら
あなたの身の周りで起きていることは何であれ
注意を怠らないようにしましょう
『気づき』のように本当に貴重なものというのは
お金や力で手に入れることはできません
それは太陽のように万人に開いていますが
気づきの重要性を理解した人でなければ
あらゆることに注意を払うことはできないのです
だから「気づき」の大切さを理解しましょうね
※『気づき・アウェアネス』
機械的な行為に気づいていることは不可能
繰り返しになりますが『気づき』に技術や訓練法は
存在しません
巷にはありとあらゆる訓練法が
キノコのように次から次へと繁殖し
人々は新しいものにすぐに飛びつきますが
何らかの方法を実践し訓練するや否や
その行為は習慣になり機械的になります
何かを機械的にこなすときには
あなたは『気づき』から離れてしまいます
ですから起きていることに全的に気づいている為には
方法・訓練・鍛錬・努力・模倣から自由でなければなりません
ひとりで進むことで見出すことができる
気づいているためには地図やガイドに頼らず
自分自身の感覚だけを頼りに進まなければなりません
そうすることであなたの知覚は敏感になり
あらゆることに気づき、即対応する俊敏さが生まれます
気づきにはこの繊細さ、俊敏さが必要不可欠なのです
ですからあなたは何にもor誰にも頼れないのです
あらゆるものから完全に自由でなければ、
気づきに不可欠な繊細さ・俊敏さは生まれないのです
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