善行で現実に助かる人がいます。

口先で善を語るだけで何もしない人は偽善者ですが、
善行した人を偽善者とは言いません。

他者の善行を偽善という人はクズ!



   ========



このような意見をネット上で見かけたのですが、
どうも腑に落ちないので、今回は皆さまと一緒に
善・善行・優しさについて、深く掘り下げていきたいと思います。





どのようにして手に入れたお金か



たとえばあなたが大企業の社長さんで、
従業員1万人を雇用しているとします。

多くの実業家がそうであるように、
あなたは利益率を最大限に上げることを目標にしており、
そのように社員を指導し彼らの尻を叩くわけです。

あなたは自分は甘い汁を吸えるだけ吸いますが、
あなたの報酬に対して従業員の報酬は微々たるものです。

つまりあなたは相応の給料を彼らに支払ってはいないのです。

どういうことかというと、
あなたは1万人を搾取しているわけです。







こうしてあなたは財産を築きます。

一生食べていくのに困らない財産を築いたあなたは、
そのごく一部のお金を世界の困っている人のために、
寄付することにします。

あなたは自分の決意と寄付という行為を、
大変誇りに思うことでしょうが、
そのことについてはここでは触れないでおきます。

あなたの寄付によって、
助かる人がいるのは勿論、事実です。

しかし1万人を搾取して手に入れたお金のごく一部を、
経済的に恵まれない人に寄付することが善行ですか?

よく考えてください。

はじめに1万人を搾取しそこで得たお金で別の人に
『善行』なるものを行うことがはたして善行でしょうか?





世界に78人の人間しかいないなら..



世界人口は現在、78億人ほどですが、
世界に78人の人間しかいないと仮定しましょう。

あなたが10人の人間を搾取して手に入れたお金のごく一部で、
別の10人を助けることが善行ですか?

それとも人を傷つけず搾取もせずに、
誠実に生きることが善行ですか?

今の競争社会において誠実に生きる人が、
多額のお金を手にすることはないでしょうから、
誠実な人が他者を経済的に助けることはできませんが、
同時に他者を傷つけることもしません。

10人の人間を傷つけることで得たお金で、
別の10人を経済的に助ける人と、
誠実だから誰も傷つけることはないが、
経済的に助けることもできない人、
どちらが善良な人間ですか?

あなたならどちらの人と共に人生を歩みたいですか?





善行ってなに?



善行というと何だか宗教的なイメージがあるかもしれませんが、
善い行いというのは意図して行えるものなんかではなくて、
優しさ・思いやりから生まれる行為が、
善行と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。

普段は強欲で支配的な人が意図的にする行為(寄付・奉仕)が、
たとえ誰かを助けることができるとしても、
それは善行とは呼べないのではないですか。

自らの欲のために汚物を散々まき散らしておいて、
後始末に精を出すなんて愚かではありませんか?

そもそも最初っから汚物なんてまき散らさなければ、
後始末をする必要性なんてなかったわけですから。

誰かを蹴落としても上へ行こうとする人、
闘争心や野心、嫉妬心で一杯の人、
家庭あるいは仕事場で冷酷な人が、
己の醜い内面をそのままに、
いくら意図的に『善行』をしても、
彼らの醜さが変わることはありません。

読者の皆様にも善行について、善について、
誠実さや思いやり、優しさについて、
この機会にぜひ真剣に考えて欲しいなあと思います。

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