「矛盾なしに生きられるでしょうか?」
と訊かれたらどのように答えますか?
その答えを見出すためには
「イエス」「ノー」という結論に至って
しまうと答えを見出すことはできません
答えや結論をもつと失うもの
結論に達した精神は機敏ではありえないので
答えを見出すエネルギーをもっていません
自分の答えに安心しきっている時というのは
38℃位のお湯に浸かっているときのように
全身が緩み切っていて敏感ではありません
あなたが推理小説を読んでいるときに、
人から結末を聞かされるとたちまち
その小説への関心が薄れませんか?
あなたの好奇心は萎んでしまいませんか?
結末を知ると興味が失せてしまうように
ある事柄についての結論をもつとき
そのことに対する探究心や好奇心
情熱が消え失せてしまいます
開いている精神は「わからない」から始める
矛盾を抱えずに生きられるか一緒に調べよう!
こういう意気込みや熱意が私たちを
答えへと導いてくれます
未知のものを探究する精神は敏感で繊細なので
物事の真偽を掴むことができます
ですから私たちはどんなことにも
開いていなければなりません
オープンでいなければなりません
問いを調べるときには結論にしがみつくのではなく
「わからない」から始めることが大切です
※『わからない」から始める 』
結論を一掃する
矛盾なしに生きることは可能か? ということについて
過去に考えたことがあったとしても
あなたと私でこれから答えを見出すためには
過去の結論や意見をすべて脇に置かなければなりません
頭の中の知識をそのままにしていては
見出す答えは私たちの知識の色に
染まってしまいます
頭のなかに知識・理想・信念・意見が詰まっていると
新しいものが入るスペースはありません
それは水をいっぱい含んだスポンジと同じで
何も吸収することはできないのです
新しいことを学ぶことはできないのです
知識や結論という過去にしがみついていては
新しいことを発見できません
頭のなかに十分なスペースがあるときのみ
思考を超えた洞察が生まれてこれが
私たちを答えへと導いてくれるんです
※『洞察について』
『ナッシングネス・空っぽと思考 』
洞察から生まれる行為とは
洞察から生まれる行為は
一つの全体としての流れであり
思考のように断片や混乱、分離を
もたらすことはありません
思考が止んだときに生まれる洞察から生じる行為は
全体的であって利己性に色づけられることはありません
このような行為には、愛や思いやり、優しさがあります
洞察に基づく行為は反対物を伴わないから
誰かの行為と対立することもないので
秩序があり全体的な行為と呼ぶことができます
※『部分的行為は混乱を、全的行為は秩序をもたらす』
空っぽであるということ
このような洞察が生まれるためには
自己を構成しているもの~つまり
思考の構築物~を取り除かれなければなりません
私たちは空っぽでなければならないのです
空っぽとは英語でナッシングネス(nothingness)
と言いますがこれを分解すると、
ノット・ア・シング: not a thing となり、
『1つの物もない状態』という意味になります。
文字通りに私たちの内部が
一つの物もない状態にあるとき
洞察が私たちを通して働きます
だからこそ私たちは、
知識・記憶・経験・信念・信仰・理想・夢・希望
嫉妬・欲望・憎しみ・恐れ・執着などといった
内部(こころ)にある全てのものを一掃して
何もない状態にしておく必要があるのです
※『空にするとはどういうこと?』
洞察が不要なものを一掃する
思考が私たちに与える影響を理解すると
その危険性への瞬時の理解が思考をストップします
こうして思考という雑音は、
必要なとき以外は大人しくすることを学んで
場をわきまえるようになります
このようにして人は思考を超えることができ
思考に左右されない秩序ある行為を
とることができるようになります
自然の法則を裏切ることのない植物のように
私たち人間にも秩序正しい行動はとれるのです
関連記事
思考が静まると物事の本質が見えてくる
思考が理解を妨げ空間が理解をもたらす
結論を手放さなければ今に生きられない
正しい行動のためには自己観察が不可欠である
☆☆
相談を承っております
詳細はこちらをご覧ください
→オンライン相談について
0 件のコメント:
コメントを投稿