宗教的な生き方とは既存宗教に従って
生きることではありません
宗教的な生き方とはそれとは逆の生き方です
※『宗教的に生きる』
宗教的な生き方とは..
・生きる指針をもたないこと
・指導者やグルをもたないこと
・規則や法則をもたないこと
・イデオロギーやプロパガンダをもたないこと
です
※『生きるための羅針盤』
宗教的に生きるとは海図を持たず
ひとりで人生という航海に出ることです
頼りは太陽や月、星の位置や
風の強さや方角を見て感じるあなた自身です
もっと詳しく言うと...
聖なる書に従うのでも思想や信念に従うのでもなく
自分の目や耳で事実を掴んで瞬間瞬間正しく
行動することが宗教的に生きるということです
※『従わない』
そのためにはあなたの目や耳はあらゆることに開いていて
敏感で機敏でなければなりません
誰かに従っているだけなら眠っていても大丈夫ですが
指導者を持たず自ら物事の本質を掴むためには
目覚めている必要があるからです
あなたの感覚器官が頼りにできる唯一のものなのです
※『鋭敏な精神』
教義や道徳に頼るのでも聖者と呼ばれる人たちの
生き方を真似するのでもなく自分の行く道は自分で照らします
何にも依存しないとき~杖という杖を取り払うとき~
あなたはあなた自身の光となります
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信念・信仰という無益な活動から自由になる
☆☆
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はじめまして。いきなりですみません、私はペットに依存しています。いつかくる別れに怯え1日の大半を鬱々とした気持ちで過ごしてしまいます。朝がくるたびに私が先に逝きたい、消えてしまいたいと願ってしまいます。夜、今日で私は死んだ。と思って寝ますが朝どうしようもないくらい死にたくなります。慣れるまではそういうものでしょうか。
返信削除こどくさん!コメントありがとうございます。一日の大半をペットと過ごせて嬉しい!楽しい!ではなく、いつか来る別れに怯えているというのは、こどくさんが今を生きられていない証拠です。
返信削除いつかくる別れを想像するとき、貴方は思考に生きているのであって今に生きていません。今に生きる秘訣は行っていることに全注意を注ぐことです!ペットと遊ぶときにはそれに夢中になりましょう、すると思考は介入不可能です、つまり鬱々とした気持ちは襲っては来ないのです
思考は私たちが注意散漫なときにはしゃしゃり出てきて気分をアップさせたりダウンさせたり忙しく動き回りますが、私たちが今やっていることに全注意を払っているときには働かないものなのです
ですから恐怖は思考の産物であることを十分に理解して、思考が作動し出す瞬間を捉えれば思考は沈黙するのです。これはやってみないとわからないでしょうから、ご自身の思考を注視してみてください
あと...なぜペットに依存しているのでしょう? もしかしたらこどくさんの心の奥底にどうしようもない寂しさがあって、その心がペットに依存することで安心感を得ようとしているのかもしれません...ですからまずはご自身の心をよく観察して、なぜペットに依存しているのか理解しましょう
あと...夜に私は死んだと思って寝るというのではなくて、刻々と精神的にあらゆる依存や執着を手放しながら生きることが精神的に死ぬということであり、真に生きるということです
最後に..
死にたい、消えてしまいたいという想いもまた思考の運動です。思考についてはこれまで沢山の記事でお話してきましたので、記事一覧をクリックして思考についての記事をご覧ください。わからないことがあれば問い合わせからでもメッセージをください
『自殺願望は自我から生じる』という記事もぜひ読んでいただきたいです↓
https://rikotekinawatashi.blogspot.com/2020/07/suicide-self.html