人を助けたい、癒したい、役に立ちたいという願望を観察する
2019/12/20
A とにかく僕は他人を癒したいだけなんです。
しかしそれには随分と力不足だなって痛感します。
ささいなことでいいんです。
ちょっとでも人を癒すにはどうすればいいですか?
私 まずはあなたの願望の正体を知らなければ
ならないのではないですか?
A どういう意味ですか?
私 他者を癒したいというあなたの願望について、
調べてみることが大切ではないですか?
他者を癒したいという願望は、成功したい
お金持ちになりたいという願望と同じ願望です。
どちらの願望も自我から生まれます。
他者を癒すことに喜びを見出すことと、
力を持つことに喜びを見出すことは
喜びを見出す対象が違うだけで、
満足を求める自我の働きに違いはありません。
A 願望は願望でも、願望の質が違います。
一方は利己的でもう一方は利他的です。
利己的な行いは悪ですが、利他的に行いは善でしょう。
私 そうでしょうか? 一緒に調べていきましょう。
利他的という発想自体、
思考が生み出したものではないでしょうか?
利己的なのはイケないことだと主張する思考が、
反対のもの(利他性)を生み出したのではないですか?
また利他という言葉自体に自我の匂いがプンプンします。
自分を優先する行為が利己的だというのは明白ですが、
他者を優先することが利己的だとは誰も思わないようです。
しかし本当にそうでしょうか?
他者を優先する行為は利己性に染まっていませんか?
自分を優先するとき中心には自我が存在するわけですが、
自分より他者を優先しようと意図するときにも、
自我はいませんか?
一方は自分のことばかり考えて行動し、
他方は他者のことを考えて行動するわけですが、
双方とも思考に基づいた行動です。
意図的な行為を利他という言葉で飾り立てようと、
思考に染まった行為が利己的でない筈はありません。
行為者である自己が活発に動き回っているかぎり、
その行為は必ず思考(利己性)に染まります。
A ではあなたは他人を癒したいという僕の願望も、
利己的だと仰るのですか?
私 あなた自身の願望です。
あなた自身がご自分の願望をよく調べれば、
それは明らかではありませんか?
どうか個人的に受け取らないでください。
願望はどのような願望であっても、
利己的だと指摘しているのです。
A 利己的なのは悪だとは理解できますが、、
私 利己的なのは悪というより、ただただ利己的、
自己本位しか言いようがありません。
大切なのは善悪ではなく利己性が根を張らないよう、
自らの行いに注意を払うことです。
徹底的な自己観察を通して利己性が取り除かれると、
利他とは全く異なる全体的な行為が生まれます。
その行為は願望や動機から生まれるものではありません。
一挙一動に注意を払うとき、光を意図的に生み出さなくても
闇がなくなれば光は自ずと生まれるのです。
A 私たちのすべての行為は意図的ではありませんか?
何かの動機をもって私たちは行動します。
意図しない行為など可能ですか?
私 先程お話したように内部の利己性を一掃しなければ、
動機や願望から自由な行為は生まれません。
私たちは歴史を通して、自我を思考で抑制しようと
してきました。(修行・思想・道徳・規律 etc.)
暴力的な人類が非暴力という概念を生み出したように、
自分たちがあまりに利己的なために、
利他という概念を生み出してそれを追い求めているのです。
自らの利己性を思考でどうにかしようとして
生まれたのが利他という概念です。
しかし思考で自我をコントロールしようとしても、
思考が自我の正体であるのに、
思考が自我を解体することなどあり得ないのです。
私たちがこのことに気づかなければ
自我が消えることは永遠にありません。
自我がなくならないので私たちは、
思考(動機や願望)から自由な秩序ある全体的な行為も、
行うことが出来ずこれまでと同じように、
混乱を撒き散らしながら生きていくことになるのです。
思考が止まなければ利己性が止むことはないことに
気づいて、思考で様々な概念や観念を生み出し続ける
不毛な作業を止めなければ、
自我が消えることはありません。
思考で利他性をどんなに崇拝しようと、
思考で非暴力を強く求めようと、
事実(利己的で暴力的な私たち)に取り組まない限り、
私たちが変わることはないのです。
A 癒したいという気持ちが自我から生まれたもの
だということはわかりましたが、
では僕は一体どうすればいいのですか?
私 私たちは内面の闇を取り除く必要がありませんか?
自分が暗闇を彷徨っているのに、
他者を癒したり導くことなどできますか?
まずは自分が自分自身の光にならなければ、
私たちは誰も癒すことはできないし、
誰にも光をあてることはできません。
この光はあなたが心のなかの闇を
取り除かなければ生まれません。
しかしあなたがありのままの自分と真摯に向き合い、
心の闇を取り除くのなら誰かを癒そうと努めなくても、
太陽のように他者に温もりを与えることができます。
A 闇を取り除く…。難しい作業ですね
私 利己性はあらゆる行為に顔を出してきます。
それを見逃さないこと、徹底的に注視することで、
利己性は消えます。
これは一度やって「はい!自我が消滅しました」
というのではありません。
瞬間瞬間の鋭利な自己観察によって、
自我を焼き尽くしていかなければならないので、
忍耐のいる作業ではあります。
しかし情熱があれば可能です。
利己性が何をもたらしてきたのかを洞察するなら、
冷酷な競争社会の根源が利己性にあることを洞察するなら、
あなたは自分自身の利己性に取りかかる緊急性・
必要性を感じるはずです。
その緊急性・必要性が情熱というエネルギーです。
A 情熱もって頑張ります。
私 気をつけてください。
頑張ろうとしているのは誰ですか?
他者を癒すことを望んでいたあなたの自我が、
今度は頑張ろうとしているのではありませんか?
頑張ろうとしている自我を見逃さないでください。
このようにあなたのあらゆる言動の自我を
注視しましょう。
緊急性があなたを突き動かすのであって、
あなたが努力して頑張るのではありません。
意図して頑張らなければならないなら、
あなたは利己性の危険に十分に、
気づいていないのです。
危険な場所に敢えて近寄らないように、
利己性の危険に気づいたとき、
あなたは決してその領域に足を踏み入れません。
頑張って足を踏み入れないのではなく、
危険への気づきがあなたにそうさせるのです。
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