一般に理解されている瞑想は、蓮華座 or 半蓮華座で座り目を閉じ、
心の中でマントラを唱えある種の呼吸法を実践し、
一定時間特定の概念やイメージに集中して座ることです。
悟りや自己実現、涅槃、ニルヴァーナなど
様々な言葉が使われますが、
瞑想はそこに到達することを目的に実践されます。
瞑想には禅的瞑想法、チベット式瞑想法、ヒンズー教の瞑想法、
イスラム教の瞑想法と、数えきれない程の瞑想法があります。
インドでは瞑想はサンスクリッド語でサーダナ(sadhana)、
努力という意味合いが含まれているように、
殆どの瞑想法は意志の力で、
リラクゼーションあるいは悟りを得る目的で
組み立てられています。
十年以上前から日本で流行しているヨガと同じように、
瞑想もまた、真の瞑想とは全く違う形で
人々の間に広まっているようです。
真の瞑想は努力を要しません。
真の瞑想は、どんな瞑想法も指導者も持ちません。
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どういうことなのか一緒に見ていきましょう。
瞑想は英語でmeditation(メディテーション)といいますが、
メディテーションには【熟考する/明確に理解する/認識する】
という意味以外に【測定する】という意味があり、
測ることができるものから自由になる、
という意味があります。
定規、体重計や電圧計、温度計やストップウォッチ、
顕微鏡や天体望遠鏡など計る対象物が小さくなればなるほど、
精妙な仕組みの計測機器が必要です。
しかし真理は、どんなに精巧な計測機器を使っても
計ることができないため、
すべての計りを手放さなければなりません。
すべての比較から自由であることが真の瞑想です。
すべての比較から自由であるとは思考から自由であることであり、
なりゆくことから自由であることです。
よってあらゆる瞑想法から自由であることです。
思考が悟りを目的に作り上げた瞑想法を実践するかぎり、
私たちは思考から自由ではありません。
日本でも瞑想法・マントラの伝授を行う方がいるようですが、
そのようなものに高いお金を払うのは止めましょう。
マントラを唱え瞑想を実践し15年を無駄にした私が
言っているのですから読み終わるまでの間だけでも、
耳を傾けて下さい。
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マントラとはいわゆる真言(しんごん)で
私の場合もそうだったように多くの場合、
サンスクリッド語のマントラを指導者から授かります。
マントラを唱えることで普段止むことのない思考を
静めることはできるというのは事実ですが、
同じ言葉を何度も繰り返しことで
精神は機械的になり鈍感になります。
全ての習慣がそうであるように何かを繰り返すことで、
私たちの精神は機械的になり鈍くなります。
ですので全てのマントラを片付けてしまいましょう。
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真の瞑想とは、日常からかけ離れたものではありません。
それどころか日常と、密接に関わっています。
朝と夕に意味もよく理解していないマントラを復唱し、
20分瞑想したら終わりというようなものではありません。
真の瞑想とは、
- 自らの思考の動きに注意し、観察すること
- 自分の行いを注意深く見守ること
- 他の人と自分がどのように関わっているか、理解すること
- 自然や動物とどのように関わっているか、知ること
- あらゆる状況における自分の反応を、見逃さないこと
- あらゆるもの問うこと
- あらゆるものを疑うこと
真の瞑想とは....
瞑想指導者を問い疑うこと、あらゆる瞑想法を問い疑うこと、
自分の真理体験や知識、信念や意見をも疑うことです。
あらゆることを歪みなくあるがままに観察し、
その観察から無益のものをすべて排除してしまうことです
このブログはまさに皆様と一緒に瞑想を行っています。
あらゆることを問いただすことは
このブログでまさに行っていることだからです。
どこにも結論を置かずあらゆるものを問うことが瞑想です。
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