瞑想とは真理に「いま」出会うこと

2019/05/10

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一度悟ると、その人は悟りを開いた人だとか聖者だと言われます。

かくいう私も、一度悟ると全てを理解する知恵を得ると思っていました。

真理がわかれば、悲しみや苦しみから自由になると思っていました。

しかしよく調べると、これは間違いだとわかります。




真理に固定点はありません


固定点があるなら、真理に至るための方法や手段などが
あるでしょう。

固定点があるなら、真理は既知のものだということになります。

既に知られているもの、過去のものということになります。

固定点があるなら、真理には方向があります。

方向があって至る地点があるということは、
時間を要するということです。


真理に至るには、時間が必要だということになります。




あなたがA点からB点に移動するには、時間がかかります。

移動手段によって、所要時間は変わります。

移動手段によって、ルートも変わります。

飛行機なのか車・バスなのか、列車なのか自転車なのか、
もしくは歩きなのかによって所要時間・ルートは変わってきます。




こうして調べていくと既存宗教、あらゆる瞑想法に
疑問を抱き始めます



彼らは「真理は時間を越えている」と言います。

ですが彼らは、真理に到達する瞑想法を提供しているのです

どこかおかしくありませんか?

移動手段があなたを目的地まで連れていってくれるように、
瞑想法があなたを真理に到達するのを助けてくれるのだとすると、
目的地と同じように真理には固定点があることになります。


目的地点があるのでそこには方向があり、方向は時間を伴います。

ということは、真理は時間の領域内に存在することになります。

しかし彼らは「真理は時間を超えている」と主張しているのです。

真理は時間を超えている、無限だと主張しながら
限定された瞑想法を提供するというこの矛盾がわかりますか?





方法はあなたをある場所へと導きます


目標や理想があると、あなたは方法を求めます。

ダイエット法や勉強法が、あなたが目標を達成するのを
助けてくれるように、瞑想法は真理に到達するの可能に
するためにあるわけです。

しかし....

ポイントは時間内にしか存在しないので、
(瞑想指導者はポイントを真理と呼んでいるわけですが)
ポイントに達するための瞑想法をいくら実践しても、
時間を超えた真理に出会うことはありません。


ポイントがどこなのかはわかりませんがそれは、
時間内に存在するので真理ではないことは確かです。



関連記事:真理体験の真実
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真理は時間を超越したもの


真理が時間を超えたものだいうことは方向・固定点を
もたないのでそこに至る手段・方法は存在しないことがわかります。

真理は、私たちの知識や思考、経験では捉えられません。

真理は死んでいるものではなく、生きているものだからです。

既知である知識や思考・経験によって、
真理をとらえることはできません。

生きているものを、過去のものさしで計ることはできないのです。

過去でもって、現在を理解することは不可能です

知識や思考、経験で、真理を知ることはできません。




例をあげましょう。

これまでのあなたを知っていると、言うことができます。

しかしどんなに親しくても、
私はあなたを完全に知ることはできません。

私はあなたのことを全て知っているとは、決して言えません。

というのは、あなたは生きていて常に変化しているからです。

私は死物を、完全に知ることはできるかもしれません。

コンピューターや車について
完全に近い知識を得ることはできるでしょう。

しかし変わりゆくものを、完全に知ることはできません。

過去のあなたの言動から、
現在のあなたを理解することはできないのです。

私はあなたのイメージ、あなたとの思い出にしがみついたまま、
目の前のあなたを理解することはできないのです。

あなたについての取扱説明書でもって、
現在のあなたを理解することはできません。


あなたを理解するには私がもっているあなたについての
知識・イメージ・経験を手放さなければなりません。

知識・イメージ・経験という眼鏡をかけていては、
現在のあなたに出会うことはできないからです。




真理も同じです。

真理という言葉には、何か修行者だけが求めるもの
というイメージがありますがそうではありません。

真理はあらゆる出来事のなかに存在します。

愛が修行者だけのものではないように・・

真理は生きており、一瞬一瞬の中にあります

人は刻々と観察され理解されねばならないように、
真理もまた刻々と理解されねばなりません。

ですから過去に素晴らしい体験をしたとしても、
それは既に終わったことであり、
過去の真理体験は現在の真理ではありません。

あなたに対して私がもっているイメージが
現在のあなたとは違うように、
過去に経験した真理と目の前に繰り広げられる真理とは違います。





現在の真理は、今この瞬間にしか出会うことはできません


現在のあなたには、今この瞬間しか出会うことができないように

ですから悟ったという過去の経験にしがみついていては、
目の前の真理には出会えないのです。

瞬間瞬間の真理に出会うためには、
あなたが体験している真理をその都度手放さなければなりません。




真理を積み上げることはできません


私たちは、息を吐かずにずっと吸い続けることはできません。

同じように真理を蓄積することはできません。

既に死物となった経験を吐き出さずに、
新鮮な真理を味わうことはできません。

瞬間瞬間、出会わなければなりません。

知識や記憶でいっぱいの鈍重な過去の自分を、
捨て去らねばなりません。

悲しみや痛み、恨み、楽しみさえも一掃して、
新鮮に現在と出会わねばなりません。

そうでなければ、誰とも本当に関わることはできません。

そうでなければ、愛を理解することはできません。

過ぎ去った過去を抱えていたら、現在に出会えません。

愛・真理は現在にあるのであって、過去ではないからです。

愛・真理は「いまこの瞬間」に出会うのであって、
過去や未来ではありません。





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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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