静かな場所に一人蓮華座で座り、特殊な呼吸法を実践して
思考を心を落ち着かせること、平安にすること、
リラックスすること、そしてできれば真理に至りたいという
願いのもと、行われるのが瞑想であると考えられています。
しかし何らかの動機をもって行う瞑想は、
市場取引と変わらないので瞑想とはいえません。
瞑想とは、私たちの生き方全体を問うものです。
生き方全体を問う瞑想
・なぜ自分は今のように生きているのか?
・どうして毎日、会社に行くのか?
・なぜ特定の物事に対して、同じような反応をするのか?
・自分の態度はなぜ人によって違うのか?
・苦しみや葛藤、欲望、野心の正体は何か?
・なぜ孤独を感じるのか?
・なぜ常に満たされない感覚があるのか?
・どうして未だに人間は争っているのか?
・自然、動物とどのように関係しているか?
・運動や娯楽との関係は?
・どのような人間関係を築いているか?
・社会との関係は?
あなたがこのように自分の生き方を問い始めるとき、
瞑想は始まります。
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生き方を問う・疑う・調べる
なぜ人によって態度を変える? 仮面をかぶるの?
既知(知識・経験)を一掃する
これらの問いを知識・経験・社会の常識で
対処しようとするなら物事を正確に観察することはできないし
適切な答えを見出すことはできません。
あなたの知識を総動員して試験問題を解いているだけ、
瞑想ではありません。
ですからまず思考の限界とその正体を
理解しなければなりません。
思考の性質を理解したとき、
あなたのもっている物差しを手放すことができて、
目の前の問題をそのありのままに観察し、
取りかかることができます。
これが瞑想です。
関連記事:無秩序な思考を手放すと秩序が生まれる
思考の正体をつかんで手放すと現在(いま)に出会える
わからない・知らない!から始めよう
「何も知らない」から始めなければなりません。
思考の無意味さを理解して、それを取り除くのです。
汚れた窓からは、外をはっきり見ることはできないように
知識・信念・結論・経験でホコリだらけの窓から、
物事を正確に観察することはできません。
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思考の限界を理解し「わからない」から始める
幻想に生きる私たち
常に思考を通して私たちは物事を見るので
その観察は事実とは全く別物で、
常にあなた色に染まっています。
これこそが人は、幻想に生きていると言われる理由です。
あなたの観察は、あなたの思考色に染まるのです。
思考を通して観察するかぎり、
人は自らの思考が映し出した幻想の中に生きるのです。
思考が作り出した物語はあまりにリアルなので、
それが幻想だということに気づかず、
私たちが眠りから目覚めることは滅多にありません。
このように生きる愚かしさを、
しっかりと見なければなりません。
自分自身がやっていることを把握できなければ、
眠りから目覚めることはありません。
あらゆる幻想を排除しましょう。
これこそが瞑想です。
真の瞑想
瞑想とは心に積もったホコリに気づいて取り除くことであり、
私たちが生の全体に関わることなのです。
瞑想はどこかのお寺やアシュラムで行われている、
儀式の類ではありません。
瞑想とはありふれた日常生活において、
私たちが自らの感情・行いに十分気づいていることです。
一瞬一瞬の自らの行いに注意を払うこと、
行為に利己心はないか問うて、誠実に生きることです。
このような瞑想こそが私たちの行為に
秩序をもたらすのです。
規律に従うことで生まれる人為的で考えつくされた秩序ではなく
宇宙の秩序のような、あらゆる生き物の心臓の鼓動の
リズムのような秩序が生まれるのです。
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