色眼鏡を外してありのままに見る

2019/04/27

関係 気づき 観察 思考 理解 洞察 事実

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眼鏡をかけて物事を見るかぎり、
私たちはその本質をつかむことはできません。

経験・知識・信念・結論といった眼鏡を通して
物事を見ているかぎり、
事実をありのままに観察することはできません。

事実をありのままに観察することを邪魔するのが、
経験や知識という私たちのかけている眼鏡です。


このことは以前の記事でも調べた通りですが、
今回は詳しく調べていきましょう。






眼鏡をかけて見るとは?



眼鏡をかけて物を見るとは、
経験、意見、信念、結論、快不快、好き嫌いを
内包する思考を通して見ることです。

眼鏡をかけて見るとは、
思考を介して見ることです。

過去の経験を通して現在を見ることです。






思考を介さずに見るとは...



「私、あの人の顔が嫌い/好き」
「あの人、性格悪くない?」
「彼の話、全く面白くない」
「あの人独身かなぁ」

このような頭の中のおしゃべりを介さず、
目の前の相手と接することが、
思考を介さないで観察することです。

思考という眼鏡をかけないで、
相手を見ることができなければ
相手のことを正しく観察することができないので、
理解することもできません。

ですから、次の質問はこうです。

思考を介さずに、物事を見ることができるか?






物事をありのままに見る



思考を介さずに見るために必要なことは一つ!

それは思考を介して見ることの危険性を、
認識することです。

思考を介して見ているかぎり、
事実をありのままに見れないこと、
人と深く関係することはできないこと、
を本当に理解すると、
あなたはかけている眼鏡を外しませんか?

危険への洞察が、
あなたを機敏にそして繊細にし、
眼鏡を外すという行為を促します。

経験を基に物事を捉えていた精神は今、
その危険を理解します。

思考を介することの危険を見た精神は、
もはや自らの経験や考えに、
どっぷりと浸かってはいません。

その精神はあらゆるものに機敏に反応します。

この精神が思考がよぎりそうになる瞬間を、
捉えます。

このようにして私たちは思考を介さず、
物事を見ることができるようになります。

これには意志の力や努力は必要ありません。
練習や鍛錬も必要ありません。

眼鏡をかけることの危険を、
理解するだけでよいのです。

眼鏡自体の危険性を見た精神は、
別の種類の眼鏡をかけてみよう、
などという考えには至りません。

その精神はある特定の眼鏡の危険性ではなく、
全ての眼鏡の危険性を見るからです。

その精神は、危険なものから離れます。

危険な場所には近づかないように、
機敏な精神は危険な場所から速やかに離れます。








眼鏡の種類を変えなさいと主張する人たち



事実を正しく観察するには、
それを阻んでいる眼鏡を外せばいいだけなのに、
眼鏡の種類を変えなさい、
とアドバイスする人たちがいます。

「人は見たいようにしか見ないのだから、
 どうせなら明るい眼鏡にかけましょう」と...

このようなアドバイスは、
多くの人を魅了しているようです。

彼らの主張には、
少しの事実が含まれているから厄介です。

「人は結局、ありのままの事実を見ていない。
 見たいようにしか見て、思いたいように思う。」

ここまでは先程も見てきた通り、
事実です。

眼鏡自体が観察を歪ませていることに気づかなければ、
私たちは過去という眼鏡をかけて、
いつも現実を捉えようとします。

しかしありのままの事実を、
見ることができない原因は、
眼鏡にあるのに、
眼鏡の種類を変えたって仕方ありません。






彼らのアドバイスの虚偽



彼らは主張します。

「社会が腐敗して見えるのはあなたの眼鏡のせい
 幸せ眼鏡に変えたら幸せな世界が見えるよ」

「自分は天才!という眼鏡をかけたら、
 自分が天才に思えてくるし、
 実際に天才になっていくんだよ」

「生きているだけで幸せ〜という眼鏡をかけたら、
 本当にそうなるよ」

このようなアドバイスは非常に危険です。






彼らのアドバイスが危険な理由(わけ)



彼らは眼鏡をかけることの危険性に、
本当には気づいていないようです。

というのは彼らが本当に、
眼鏡をかけることの危険に気づいていたら、
眼鏡の種類を変えましょうなど、
アドバイスはしないからです。

眼鏡をかけて物事を見ることが危険なのに、
楽しくなる眼鏡をかけようというのは、
思考という刑務所に囚われている人に、
壁の色をピンクにしたら、
刑務所の中でもハッピーになれるよ、
とアドバイスするようなものです。

重要なのは思考をもとに、
物事を観察することの危険を見ることです。

古い眼鏡を捨てて新しい眼鏡に取り替えても、
ありのままに物事を見れない事実は、
変わりません。

大事なのは事実をありのままに見ることです。





例を挙げましょう。

車が猛スピードであなたに向かってきています。

これは事実です。

この事実を見た瞬間、
あなたはその場から逃げるでしょう?

しかしあなたが幸せ色の眼鏡をかけてたら、
どうでしょう?

あなたには何もかもがピンク色に見え、
危険が迫っていることにも気づきません。

幸せ色の眼鏡をかけたままでは、
危ない状況に気づくことはできないなんて、
危険ではありませんか?

だから彼らのアドバイスは、
非常に危険なのです。

物事を正確に見ることができなければ、
危険が迫っていても気づけないからです。






思考の中に生きる、幻想の中に生きる



世界は競争的で、
私たちは今まで以上に利己的です。

世界を見ればこれは明白です。

しかし幸せ色の眼鏡をかけたあなたには、
世界が素晴らしく見えます。

事実をありのままに見ていないので、
苦しみを抱えて生きる人たちの存在を、
知らないまま安らかに暮らせるかもしれません。

しかし事実とは異なる世界を見、
虚構の世界の中で生きていて、
本当に生きていると言えるのですか?

現実から目を背け耳を塞いで、
思考が作り出した概念の中に生きていて、
本当に生きていると言えますか?

とてつもなく不安で孤独なのに、
『自分は幸せなんだ』という、
マントラを唱え続けることで、
あなたは幸せになれますか?

あるがままの自分と向き合うことから避け、
ありのままの世界を観察することから逃げて、
自分は幸せだ、世界は素晴らしいと、

盲目に信じて生きることは、
危険ではありませんか?

そのときあなたには警鐘が、
ヒーリングミュージックに聞こえて、
差し迫る危険に気づくこともないでしょう。






眼鏡は眼鏡



気分がアップする眼鏡もダウンする眼鏡も、
同じ眼鏡です。

眼鏡が気分を落ち込ませることだってあります。

「自分はダメだ」「生きている価値がない」

このような思考は、
これまで受けてきた教育や育った環境、
両親や先生、友達から言われた言葉に
影響を受けて形成されます。

このような眼鏡をかけていると、
私たちは落ち込んだり自己否定したり、
あるいは逆に優越感を感じたりしますが、
眼鏡によって感情が揺れ動いていることに、
気づきましょう。

あなたを落ち込ませてしまう眼鏡、
気分を良くしてくれる眼鏡を
かけるのを止めましょう。

たとえ気分を上げてくれるとしても、
眼鏡をかけている以上、
本当の自分を見つめることはできない、
ということに気づきましょう。

眼鏡が全体的な観察を、
阻んでいることに気づきましょう。

そして眼鏡をかけずに、
ありのままの自分を観察しましょう。

事実と向き合うとき、
あなたはようやく物事をありのままに、
歪みなく見ることができます。

ですから全ての種類の眼鏡の虚偽を見て、
一掃しましょう。






思考の正体を理解する



「明るい色の眼鏡に変えたら世界は明るく見える」
「そうすれば生きるのが楽になるよ」
「気分を上げてくれる眼鏡をかけましょう」

このように主張するのは思考です。

そしてこのようなアドバイスをする人たちは、
喉から手が出るほど幸せが欲しい、
あなたの気を引こうと、
熱心に語りかけてくるのです。

しかし彼らはわずかの真実で
引っぱり込んでおいて、
あなたを危険にさらすという、
深刻な結果で裏切るのです。

もう一度言います。

眼鏡をかけて見ることが、問題なのです。
眼鏡の種類が問題なのではありません。

眼鏡をかけることの危険に気づいて、
今ここで眼鏡を捨て去りましょう。


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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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