【事実のみと向き合っていたら人は
苦しみや悲しみ、葛藤から自由であり
幻想や観念に惑わされることはない】
ということをこれまで伝えてきましたが
読者の方から向き合っているものが
事実か幻想かわからないというメールをいただきました
彼女のお陰で現実と事実の違いを
ハッキリさせていなかったことに気づきました
今回は『現実』『事実』『真実』の違いをクリアにします
『現実』という言葉の意味
現実とは何でしょう?
現実.....いま目の前に事実として現れている事柄や状態参照:デジタル大辞典
このように書いてありますがブログでは
辞書の意味に加えて思考がこしらえる
幻想や妄想、苦しみも『現実』と定義をします
ブログ内における『現実』
ブログ内で『現実』という言葉を使うとき
現にあるもの、見えるものだけでなく
思考が作り出した幻想や妄想も含まれます
例えを挙げます
今私が使っているパソコンは辞書に従うと
目の前に事実としてあるから『現実』ですが
ブログ独自の定義では思考によって作られた
ものだから『現実』です
テーブル・椅子・家・寺院・教会も同じです
辞書に従うと目の前に事実としてあるから
『現実』ですがブログでは思考によって
組み立てられたものだから『現実』です
ここまでわかりますか?
感情は現実?それとも事実?
では感情はどうでしょう?
寂しさや苦しみは思考がこしらえるので『現実』です
よくスピリチュアル系の人が感情は
思考の産物だから幻で現実ではないと言いますが
思考の産物であることはそうなのですが
感情は当人にとって現実に心で起きている
ことであり痛みを感じるので幻ではなく『現実』です
妄想も幻想も当人にとってはリアルだし
思考のこしらえたものなので『現実』です
ここ↑が少し辞書の意味と違うところです
このようにブログ内で使う『現実』とは
目で見て認識できるものだけではなく
思考の産物である幻想・観念・感情も含みます
まとめると...
思考が関与している机・椅子・神・苦しみは『現実』です
ブログ内における『現実』と『事実』の違い
1つ例を挙げます
私があなたのことを「バカ」と言ったとします
私があなたにバカと言ったのは『事実』ですし
あなたが傷ついたというならそれも『事実』ですが
心の痛みは『現実』です
友達の言葉に傷ついたのはあなたの思考がこしらえた
自己イメージなので心の痛みは『現実』です
物事をみてそれが事実なのか現実~思考の産物~
なのかわからないと、思考の産物を事実だと
勘違いして不必要に苦しんだり葛藤したり
することになるので起きている出来事を
きちんと観察することが大切です
つまり事実とともに生きることさえできれば
あなたは葛藤や苦しみのない人生を送れます
これで現実と事実の違いは明らかになりました
※『傷つくのは自己イメージ』
『真実』という言葉の意味
では真実とは何でしょう?
真実.....うそ偽りのないこと。本当のこと
また、そのさま。まこと
参照:デジタル大辞典
真実 = 事実ということですね
真実とは事実を知覚すること
真実とは事実を知覚することであり
その知覚/洞察はあなたに正しい行為を促します
真実とはあるがままの事実を観察することです
事実を観察すること=真実=真理です
※真理にいま出会う
事実のみと向き合って生きる
現実・事実・真実の違いがわかったあなたは
次のような問いが生じるかもしれません
⇓
⇓
人は常に事実のみと向き合うことはできるのか?
この問いは葛藤や苦しみから自由になれるのか
真実とともに生きることはできるのか
事実に基づく正しい行為はとれるのか>
という問いでもあります
このまま続けると長くなってしまうので
『普段の行為』と『事実に基づいた行為』
の違いについて次の記事で書きます
少しだけ明日の内容に触れると99%の人の行為は
事実ではなく現実に基づいています
どういうことかというと『~すべき』
『~すべきでない』という観念や理想や道徳に
基づいており事実に即した行為ではありません
関連記事
あるがままの自分にとどまる
事実を見つめると心はブレない
事実が不安・恐怖を吹き飛ばす
恐怖・不幸・悲しみを生む思考
思考を挟まないで事実を見つめる
葛藤は事実から離れるときに生まれる
相談を承っております
詳細はこちらをご覧ください
→オンラインセッションについて
0 件のコメント:
コメントを投稿