事実と共に生きると【葛藤・苦しみのない人生】が手に入る:現実・事実・真実の違い

2020/07/09

イメージ 概念 思考 理解 洞察 事実

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【事実のみと向き合っていたら人は
 苦しみや悲しみ、葛藤から自由であり
 幻想や観念に惑わされることはない】
ということをこれまで伝えてきましたが
読者の方から向き合っているものが
事実か幻想かわからないというメールをいただきました

彼女のお陰で現実と事実の違いを
ハッキリさせていなかったことに気づきました

今回は『現実』『事実』『真実』の違いをクリアにします

『現実』という言葉の意味


現実とは何でしょう?

現実.....いま目の前に事実として現れている事柄や状態
              参照:デジタル大辞典

このように書いてありますがブログでは
辞書の意味に加えて思考がこしらえる
幻想や妄想、苦しみも『現実』と定義をします

ブログ内における『現実』


ブログ内で『現実』という言葉を使うとき
現にあるもの、見えるものだけでなく
思考が作り出した幻想や妄想も含まれます

例えを挙げます

今私が使っているパソコンは辞書に従うと
目の前に事実としてあるから『現実』ですが
ブログ独自の定義では思考によって作られた
ものだから『現実』です

テーブル・椅子・家・寺院・教会も同じです

辞書に従うと目の前に事実としてあるから
『現実』ですがブログでは思考によって
組み立てられたものだから『現実』です

ここまでわかりますか?

感情は現実?それとも事実?


では感情はどうでしょう?

寂しさや苦しみは思考がこしらえるので『現実』です

よくスピリチュアル系の人が感情は
思考の産物だから幻で現実ではないと言いますが
思考の産物であることはそうなのですが
感情は当人にとって現実に心で起きている
ことであり痛みを感じるので幻ではなく『現実』です

妄想も幻想も当人にとってはリアルだし
思考のこしらえたものなので『現実』です

ここ↑が少し辞書の意味と違うところです

このようにブログ内で使う『現実』とは
目で見て認識できるものだけではなく
思考の産物である幻想・観念・感情も含みます

まとめると...

思考が関与している机・椅子・神・苦しみは『現実』です

ブログ内における『現実』と『事実』の違い


1つ例を挙げます

私があなたのことを「バカ」と言ったとします

私があなたにバカと言ったのは『事実』ですし
あなたが傷ついたというならそれも『事実』ですが
心の痛みは『現実』です

友達の言葉に傷ついたのはあなたの思考がこしらえた
自己イメージなので心の痛みは『現実』です

物事をみてそれが事実なのか現実~思考の産物~
なのかわからないと、思考の産物を事実だと
勘違いして不必要に苦しんだり葛藤したり
することになるので起きている出来事を
きちんと観察することが大切です

つまり事実とともに生きることさえできれば
あなたは葛藤や苦しみのない人生を送れます

これで現実と事実の違いは明らかになりました

※『傷つくのは自己イメージ

『真実』という言葉の意味


では真実とは何でしょう?

真実.....うそ偽りのないこと。本当のこと 
また、そのさま。まこと 

        参照:デジタル大辞典

真実 = 事実ということですね

真実とは事実を知覚すること


真実とは事実を知覚することであり
その知覚/洞察はあなたに正しい行為を促します

真実とはあるがままの事実を観察することです

事実を観察すること=真実=真理です

真理にいま出会う

事実のみと向き合って生きる


現実・事実・真実の違いがわかったあなたは
次のような問いが生じるかもしれません


人は常に事実のみと向き合うことはできるのか?

この問いは葛藤や苦しみから自由になれるのか
真実とともに生きることはできるのか
事実に基づく正しい行為はとれるのか>
という問いでもあります

このまま続けると長くなってしまうので
『普段の行為』と『事実に基づいた行為』
の違いについて次の記事で書きます

少しだけ明日の内容に触れると99%の人の行為は
事実ではなく現実に基づいています

どういうことかというと『~すべき』
『~すべきでない』という観念や理想や道徳に
基づいており事実に即した行為ではありません

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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