私たちはなぜ、攻撃的なのでしょう?
私たちはなぜ、競い合うのでしょう?
私たちはなぜ、人と比べるのでしょう?
攻撃的で常に誰かと比べて競争することは、
自分や他者を打ち砕いてしまうという事実を見つめて、
これを読み終わる頃には、
攻撃性・競争心・闘争心・比較から自由になりましょう!
比較・競争から自由になるとき、
あなたは内部にとてつもないエネルギーを感じます。
さて、冒頭の質問をご自身に投げかけましたか?
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なぜあなたは攻撃的なのですか?
なぜあなたは競い合うのですか?
なぜあなたは人と比べるのですか?
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私たちは子供の頃から親や先生や社会に、
「誰にも負けないものを見つけなさい、人より秀でなさい」
と言われて育ちましたから、大人になってからも
様々な分野において、常に人と比較し競い合う、
というパターン内で動いています。
そして友達より強くなることが重要になり ...
友達より賢くなることが大事になり ...
先に出世することが重要になり...
アイツにだけは負けたくない、
という競争心を抱くようになりました。
これは反射的と言っても、大げさではありません。
私たちは常に誰かと自分を比較しています。
そして打ち負かしたときに感じる爽快感や、
周りの賞賛の声に快感を覚えて、
もっと攻撃的になっていきます。
つまり人と比べれば比べる程、競えば競う程
私たちの攻撃性は強化されていくのです
攻撃性はあらゆるところに
○○よりも優しく
◎◎より面白く
より格好良く
もっと可愛く
もっと美しく
憧れのモデルのように痩せてスタイル良く
素敵な服や小物で人と差をつけたい
もっと美しければ良かったのに
もっと頭が良ければ良い大学、会社に入れたのに
アイツのようにお金があったら
比較は攻撃性そのもの
素敵な人と自分を比べ、ありのままの自分を否定し、
彼/彼女のようになろうと自分を必死に変えようとします。
「今のままの自分じゃダメだ」
「彼女のように痩せなきゃ」
「この生活レベルじゃ結婚できない」
「あの人のようになりたい、努力しなきゃ」
「聖者の域に達したい」
「素敵な女性と付き合うにはレベルを上げないと」
「アイツより稼ぎたい」
「有名になりたい、成功者になりたい」
ありのままの自分を強制的に変えよう、
理想の型にはめようとする行為は暴力です。
自分に鞭を打つ行為です。
この攻撃性は、自分だけでなく他者を傷つけ破壊します。
自分に鞭を打つ行為
一生、自分に鞭を打ち続けるつもりですか?
それは暴力ではありませんか?
そのような行為に終わりはあるのでしょうか?
あなたがどんなに綺麗で頭が良くて成功していても、
もっと綺麗で頭が良く成功している人は、
世界にはおそらく沢山いるでしょう。
いつまでもあなたの上を行く人と比較して、
その人のようになるまでひたすら努力するのですか?
あなたは一生、比較し競い合って生きていくのですか?
一生、劣等感や嫉妬心を抱いて生きていくのですか?
このようなパターンから抜け出したくはありませんか?
比較・競争のパターンから抜け出す
私たちが攻撃的であるように、
プログラムしてきた教育や社会を呪っても、
パターンから自由にはなれません。
比較・競争のパターンから自由になるには ....
劣等感・嫉妬・闘争心から自由になるには ....
他者と比較し競い合うパターン内で動いているかぎり、
妬み・暴力性・憎しみ・劣等感といった、
あなたを破壊してしまう感情から、
自由になれないことを理解することです。
全身全霊でそのことを見なくてはなりません。
比較や競争が人を破壊することを、見るのです。
危険を理解すると比較・競争は終わる
比較し競争する自分にとどまって自分自身を観察しましょう。
間違っても「比較してはいけない、パターンから抜け出さねば」
などとは言わないでください。
なぜならありのままを変えようとする行為は、
どのような行為も暴力だからです。
比較し競うことが自分だけでなく他者をも破壊すること、
人間関係を破壊することを洞察するとき、
あなたは比較・競争から自由になります。
「比較や競争はダメなのか」と頭で結論に至るとき、
あなたは知識として蓄積しただけで、
比較や競争から自由になったわけではありません。
ですから知識として理解するのではなく、
比較・競争・闘争心の危険性を洞察しましょう。
車が突っ込んで来たら、あなたは咄嗟に逃げるでしょう?
「さてどうしたものか? 右?いや左によけようか」
などとは考えず、瞬時に動く筈です。
そこには瞬時の行動があります。
比較・競争・闘争心の危険性をリアルに見るなら、
その観察の炎が攻撃的なパターンを焼き尽くします。
必要なことはただ見ること
比較・競争・闘争心・劣等感・嫉妬から自由になるには、
その危険をはっきりと見ることです。
見ることでしか、終わらせることはできません。
意志の力で終わらせようとしてもダメです。
向かって来る車を認識することが、
瞬時のアクションを生むように、
注意深い観察が瞬時の行動を生むのです。
どのようにして比較や競争心を終わらせるのかと問うのは、
向かってくる車からどのように逃げたらいいのか、
人に問うているようなものなのです。
比較・競争からの自由
あなたは比較・競争から自由になりましたか?
あなたは最後まで読みました。いかがですか?
比較から競争から闘争心・攻撃性から自由になりましたか?
まだならあなたは危険を見ていないのです。
人と比べ競い争うとき、
どのような気持ちになるか感じてください。
比べて競争するときの自分の気持ちに潜るのです。
比較し競い合うことでどれほど嫉妬深くなるか、
劣等感を抱くか、イライラするか落ち込むか、
目を背けずにしっかりと見つめましょう。
するとあなたの鋭い観察の炎が、
比較・競争心・攻撃性・闘争心・暴力性を、
焼き尽くすことでしょう。
こうしてあなたは比較・競争から自由になるのです。
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