思考を注視する
思考は裁判官のように、
自らの言動や他者の言動に判決を下します。
しかし限定された思考が下す判決は、
常に限定されるので無秩序です。
無秩序な思考に私たちはいつも、
翻弄されますが、
思考に翻弄されないためには、
思考に動きに気づかなければなりません。
自らの思考を注視しなければなりません。
思考を注視するとは、
考えている最中に、
注意を払うということです。
後になって振り返るのではなく、
考えているまさにその時、
気づくのです。
思考を振り返る≠思考を注視する
殆どの場合私たちは後になって、
思考を振り返ります。
「心の中で相手を批判した/軽蔑した」
と自分にダメ出ししますが、
これは注視ではありません。
過去を思い出して、
思考がああだこうだと言うとき、
思考は作動しています。
つまり後悔や正当化は、思考の活動なのです。
過ぎ去ったことは終わったことなので、
何度考えても過去は変えられません。
このことをきちんと理解して、
過去についてアレコレ考えることの、
バカらしさを理解しましょう。
また、過去の出来事を考えることで、
過去に抱いた憎しみや悲しみは、
強化されることを、理解しましょう。
頭の中の思考の合唱
あなたが友達の言動に、
苛立ちを覚えたとします。
- 何を言いたいんだ、コイツは
- 全然頭に入って来ない
- 時間の無駄だ
- 要点だけ言ってくれ
- 喋りが下手だな
- あー イライラする
- どうしてコイツと友達になったんだ
あなたの頭の中ではこのように、
思考の合唱が始まります。
思考の合唱を注視する
あなたはその合唱に気づきます。
そして音楽を注視します。
すると思考は止まります。
突然、音楽は止んで、静かになります。
頭の中に静けさが、空間が生まれます。
止まらない思考
あなたは突然の静寂さに戸惑います。
なぜならいつも話しかけてくる相棒が、
突然沈黙したからです。
思考の音楽に慣れているあなたは、
静けさに落ち着きません。
戸惑うあなたは静けさを、
馴染みの音楽で埋めようとして、
思考を再開させます。
- なぜ静かになったんだ?
- 焦った〜
- 沈黙は怖いな
- 気を取り直そう
- あーコイツまだ話してたんだ
- しんどいなあ
- 早く家に帰りたい
- 急用が出来たって言おう
こうして沈黙する前と似た音楽が、
流れ始めます。
思考を辛抱強く注視する
思考の本質を理解すると、
あなたは思考に翻弄されません。
移り気な思考に惑わされません。
思考が作動し出したら、
注意散漫であった自分にに気づき、
また思考を注視します。
慣れない無音状態を、
再び思考が埋めようとしますが、
思考の構造を理解したあなたは、
沈黙にとどまるので、
思考は作動しません。
思考の構造を理解する
このようにして思考を注視します。
思考が奏でる音楽に、耳を傾けます。
思考を注視すると思考は止み、
自分が不注意になると、
思考がお喋りし出すことが、
あなたにはわかります。
ですからあなたはある対象から、
別の対象へと向かう思考を、
注視します。
その音色に聞き入ります。
自由な心は、注視することができる
注視するとき、
あなたの心は特定のことに向かっていません。
あなたの心は360度、
あらゆる方向に開いています。
心は何にも限定されません。
心は束縛されていないので、自由です。
注視すると、あなたの中心は消えます。
頭の中の音楽が止むというのは、
中心が消えるということです。
「○○には意識を向けて××には向けるな」
などと指示する中心はいません。
このように心が何にも限定されず、
何の偏りもなく自由なとき、
つまり「私」という中心が不在のとき、
私たちは真理や愛といったものを、
知覚することができるのではないでしょうか。
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