私/自己/セルフ/自我の正体

2019/01/18

思考 利己的な私 理解 洞察 事実

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私・セルフ・自己とは何?



「わたし」というとき、何を意味しますか?

自分の名前、そして肉体以外に何を意味するのか
一緒に見ていきましょう。

私とはこれまでに経験してきたもの


私とはこれまでに経験してきたものではありませんか?

「私の経験上、•••」「○○は経験豊富ですね」
なんてよく言いますよね。

• ある環境下に育ち○○大学を出て大手で働き成功してきた私
• 数々な恋愛をしてきた私
• 海外で経験を積んだ私
• 社会奉仕に身を捧げてきた私
• 長年修行/苦行をし自己鍛錬し肉体を制御する術を身につけた私

「わたし」は経験と一体化して経験という眼鏡を通して物事をみます。

私とはこれまでに蓄積してきた知識


「わたし」とは蓄積してきた知識ではありませんか?

刻みつけられたものを常に反復しているレコードのように....

経験や知識を通して「わたし」は意見や信念、
理想なるものを持ちます

「わたし」とは知識、経験であり
意見、信念、理想でもあるのです。

関連記事:知識の正体
     意見が人を分離/衝突/対立させる

「わたし」は思考です


人は1日およそ6万回考えると言われていますが、
考えてみて下さい。

昨日考えたことと同じようなことを、
今日も考えていませんか?

 「何を食べようかな?」
 「何を食べたいかな、何を作ろう?」
 「最近飲み過ぎ(食べ過ぎ)だな」
 「明日からダイエット/運動(禁煙•禁酒)しよう」
 「明日から飲み過ぎに注意しよう」
 「今日のドラマは...」
 「あの人苦手、でも感じよくしよう」
 「あの態度、信じられない!常識ないな」
 「最近イライラするけど、怒らないようにしよう」
 「仕事(学校)行くの嫌だな」

何度も再生される思考


私たちは色々な事を考えますが、
同じような事を考えていませんか?

それは考えてみれば当然なのです。

なぜなら私たちは知っていることしか考えられないから。

知識や経験は記憶として脳に蓄えられ、
思考はそれを引っぱり出して物事を考えます。

だから同じようなことを考えてしまうのは当然です。

「わたし」とは経験や知識を記憶した録音テープであり、
思考はテープに録音されたことしか再生できません。


「わたし」の知らないことは再生できないので、
考えることはできません。





いかがですか? 愕然としませんか?

私はこの事実を見て愕然としました。

「わたし」は常にこれらの過去の蓄積物を通して、
現在と対面しているのです。

現在と対面しているとき脳内では
現在の状況に近い過去がはじき出され
「これは良い、あれはダメ」と判断し
過去が行動を決定しているのです。

つまり「わたし」という思考が現在を操っているのです。

関連記事:思考の限界

「わたし」は過去です


思考は過去の蓄積物なので「わたし」が思考である以上、
「わたし」は過去です。

過去が現在と対面し、過去が現在を操っています。

過去が現在を操っているかぎり、
私は常に過去に生きていることになります。

「私」は経験、知識、記憶であり思考すなわち過去です

これは愕然とするような事実ではありませんか?

しかし論理的にそして偏見を交えず観察すると
これが「私」の正体です。

私・自己・自我・セルフ


今まで調べてきた以外に「わたし」とは何でしょうか?

憎しみ・怒り・喜び・楽しみ・悲しみ・苦しみ・欲望・
孤独などの一切の感情や知覚です。

「わたし」とは自分が築き上げたイメージでもありませんか?


• 学業成績優秀だった私
• 優しい私
• 常識ある私
• 困難を乗り越える力のある私
• 尊敬される私
• 容姿端麗な私

関連記事:セルフイメージを疑う

この全てが「わたし」です


「わたし」とは自分が一体化した全てのものです

「あなたは誰ですか?」と聞かれたら何と答えますか?

「私は○○(名前)です」
「私は○○の会社で○○を担当しています」
「私は○○出身です」
「趣味は••で特技は••です」
「私はこれまでこういう経験をしてきました」
「○○に影響を受け、このような意見や信念をもっています」


このように....

「わたし」は名前です。
「わたし」は肉体です。
「わたし」は蓄積してきた知識や経験です。
「わたし」は記憶です。
「わたし」は意見です。
「わたし」は思考です。
「わたし」は過去です。
「わたし」はあなたが影響を受けたものです。
「わたし」は経歴です。

自己が作り上げた観念・概念


こうして調べると「わたし」とは、
手でつかむことのできないものばかりです。

触れることのできる「わたし」は肉体だけです。

このように実際の「わたし」の中身の殆どが空しいので
現存する宗教はより高い自己・真我・神といったものを
作り上げたのではないでしょうか?

ちっぽけな知識や経験や思考が「わたし」の中身
であるにも関わらず、まさにその「わたし」が
『自分はもっと崇高な何かに違いない』と主張して
より高い自己・真我・神を作り上げ、
それからをこれらを信じ一体化してきたのではないですか?

皮肉にも「わたし」と高次の自己、真我、
「わたし」と神といった二元性を作り出したばかりに、
私たちは絶えず葛藤しなければならなくなったのです。


関連記事:内部に二元性は存在せずありのままのあなただけ
     苦しみや悲しみ、恐怖のない人が神を求めますか?

思考の作り上げたストーリー


・私は怒りっぽい、これじゃ神に到達するのはまだまだ先だ
・神という無限にいつでもアクセスできる。本当の私は神だから
・自分を捨てて祈りなさい
・神に明け渡しなさい、神があなたを通して働くように
・神 / 真理に到達するために修行 / 苦行しなさい
・あらゆる人は神の顕われだから、奉仕しなさい
・私に懺悔しなさい、そうすれば神はお許しになるでしょう
・願望は神 / 真理に至るには邪魔だから抑圧しなさい
・感覚器官を制御しなさい

 ↓

こうして私達は不満や葛藤の無限ループに陥るのです。

どうぞ読むのを止めないでください! 
筆者自身が、このループに陥っていたのです。

だからあなたには陥ってほしくないのです。


自己と対峙する


自分と直接対峙すればいいだけだったのに、
理想や真理、神を追求することにより、
あるがままの自分という事実から逃げてしまったのです。


知識や経験や記憶、感情がどのように働きどのように作用するかを
理解しようとするかわりに事実と向き合うかわりに、
私たちは幻想である概念に逃避してしまいました

結果「自分」と「神」の間に長い橋を架け、
それをなんとか渡り終えようと四苦八苦しています。

しかし実際には「わたし」は名前でありこの肉体であり、
知識、経験、記憶、思考、過去なのです。

それ以上でもそれ以下でもありません。

「わたし」の中身を理解し中身全てがなくならないことには、
私たちは永遠に過去に生きるのです。


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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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