私・セルフ・自己とは何?
「わたし」というとき、何を意味しますか?
自分の名前、そして肉体以外に何を意味するのか
一緒に見ていきましょう。
私とはこれまでに経験してきたもの
私とはこれまでに経験してきたものではありませんか?
「私の経験上、•••」「○○は経験豊富ですね」
なんてよく言いますよね。
• ある環境下に育ち○○大学を出て大手で働き成功してきた私
• 数々な恋愛をしてきた私
• 海外で経験を積んだ私
• 社会奉仕に身を捧げてきた私
• 長年修行/苦行をし自己鍛錬し肉体を制御する術を身につけた私
「わたし」は経験と一体化して経験という眼鏡を通して物事をみます。
私とはこれまでに蓄積してきた知識
「わたし」とは蓄積してきた知識ではありませんか?
刻みつけられたものを常に反復しているレコードのように....
経験や知識を通して「わたし」は意見や信念、
理想なるものを持ちます
「わたし」とは知識、経験であり
意見、信念、理想でもあるのです。
関連記事:知識の正体
意見が人を分離/衝突/対立させる
「わたし」は思考です
人は1日およそ6万回考えると言われていますが、
考えてみて下さい。
昨日考えたことと同じようなことを、
今日も考えていませんか?
「何を食べようかな?」
「何を食べたいかな、何を作ろう?」
「最近飲み過ぎ(食べ過ぎ)だな」
「明日からダイエット/運動(禁煙•禁酒)しよう」
「明日から飲み過ぎに注意しよう」
「今日のドラマは...」
「あの人苦手、でも感じよくしよう」
「あの態度、信じられない!常識ないな」
「最近イライラするけど、怒らないようにしよう」
「仕事(学校)行くの嫌だな」
何度も再生される思考
私たちは色々な事を考えますが、
同じような事を考えていませんか?
それは考えてみれば当然なのです。
なぜなら私たちは知っていることしか考えられないから。
知識や経験は記憶として脳に蓄えられ、
思考はそれを引っぱり出して物事を考えます。
だから同じようなことを考えてしまうのは当然です。
「わたし」とは経験や知識を記憶した録音テープであり、
思考はテープに録音されたことしか再生できません。
「わたし」の知らないことは再生できないので、
考えることはできません。
いかがですか? 愕然としませんか?
私はこの事実を見て愕然としました。
「わたし」は常にこれらの過去の蓄積物を通して、
現在と対面しているのです。
現在と対面しているとき脳内では
現在の状況に近い過去がはじき出され
「これは良い、あれはダメ」と判断し
過去が行動を決定しているのです。
つまり「わたし」という思考が現在を操っているのです。
関連記事:思考の限界
「わたし」は過去です
思考は過去の蓄積物なので「わたし」が思考である以上、
「わたし」は過去です。
過去が現在と対面し、過去が現在を操っています。
過去が現在を操っているかぎり、
私は常に過去に生きていることになります。
「私」は経験、知識、記憶であり思考すなわち過去です
これは愕然とするような事実ではありませんか?
しかし論理的にそして偏見を交えず観察すると
これが「私」の正体です。
私・自己・自我・セルフ
今まで調べてきた以外に「わたし」とは何でしょうか?
憎しみ・怒り・喜び・楽しみ・悲しみ・苦しみ・欲望・
孤独などの一切の感情や知覚です。
「わたし」とは自分が築き上げたイメージでもありませんか?
• 学業成績優秀だった私
• 優しい私
• 常識ある私
• 困難を乗り越える力のある私
• 尊敬される私
• 容姿端麗な私
関連記事:セルフイメージを疑う
この全てが「わたし」です
「わたし」とは自分が一体化した全てのものです
「あなたは誰ですか?」と聞かれたら何と答えますか?
「私は○○(名前)です」
「私は○○の会社で○○を担当しています」
「私は○○出身です」
「趣味は••で特技は••です」
「私はこれまでこういう経験をしてきました」
「○○に影響を受け、このような意見や信念をもっています」
このように....
「わたし」は名前です。
「わたし」は肉体です。
「わたし」は蓄積してきた知識や経験です。
「わたし」は記憶です。
「わたし」は意見です。
「わたし」は思考です。
「わたし」は過去です。
「わたし」はあなたが影響を受けたものです。
「わたし」は経歴です。
自己が作り上げた観念・概念
こうして調べると「わたし」とは、
手でつかむことのできないものばかりです。
触れることのできる「わたし」は肉体だけです。
このように実際の「わたし」の中身の殆どが空しいので
現存する宗教はより高い自己・真我・神といったものを
作り上げたのではないでしょうか?
ちっぽけな知識や経験や思考が「わたし」の中身
であるにも関わらず、まさにその「わたし」が
『自分はもっと崇高な何かに違いない』と主張して
より高い自己・真我・神を作り上げ、
それからをこれらを信じ一体化してきたのではないですか?
皮肉にも「わたし」と高次の自己、真我、
「わたし」と神といった二元性を作り出したばかりに、
私たちは絶えず葛藤しなければならなくなったのです。
関連記事:内部に二元性は存在せずありのままのあなただけ
苦しみや悲しみ、恐怖のない人が神を求めますか?
思考の作り上げたストーリー
・私は怒りっぽい、これじゃ神に到達するのはまだまだ先だ
・神という無限にいつでもアクセスできる。本当の私は神だから
・自分を捨てて祈りなさい
・神に明け渡しなさい、神があなたを通して働くように
・神 / 真理に到達するために修行 / 苦行しなさい
・あらゆる人は神の顕われだから、奉仕しなさい
・私に懺悔しなさい、そうすれば神はお許しになるでしょう
・願望は神 / 真理に至るには邪魔だから抑圧しなさい
・感覚器官を制御しなさい
↓
こうして私達は不満や葛藤の無限ループに陥るのです。
どうぞ読むのを止めないでください!
筆者自身が、このループに陥っていたのです。
だからあなたには陥ってほしくないのです。
自己と対峙する
自分と直接対峙すればいいだけだったのに、
理想や真理、神を追求することにより、
あるがままの自分という事実から逃げてしまったのです。
知識や経験や記憶、感情がどのように働きどのように作用するかを
理解しようとするかわりに事実と向き合うかわりに、
私たちは幻想である概念に逃避してしまいました
結果「自分」と「神」の間に長い橋を架け、
それをなんとか渡り終えようと四苦八苦しています。
しかし実際には「わたし」は名前でありこの肉体であり、
知識、経験、記憶、思考、過去なのです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
「わたし」の中身を理解し中身全てがなくならないことには、
私たちは永遠に過去に生きるのです。
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