知識についての記事は以前投稿しましたが(知識の正体)
今回は意見について調べます。
「私の意見は、あなたと違って○○です」
このように各々が主張する意見とは何でしょうか?
意見とは各々が属する文化や宗教、知識、
育った環境などによって作り上げられた、
偏った傾向ではありませんか?
意見は常に偏っていて、その人特有の色を持っています。
意見は偏っていて断片的
中国で育った人と日本で育った人はそれぞれ特有の意見を持ちますし、
異なる宗教観をもつ人の意見も、偏りがあり独自の色に染まります。
こうしてみると意見は常に偏っていて
正しい意見というものはどこにもないことがわかります。
このように自分の意見や他人の意見、書物の意見や思想・概念で
頭の中を一杯にさせておいてよいものでしょうか?
想像してください。
偏った意見が蓄積された脳は、さぞや混乱していることでしょう。
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意見はあるがままの観察を妨る
あなたに対する意見をもつときには、
あなた本人より自分の意見が大事になります。
あなたに対する意見を手放さないかぎり、
私はあなたを正確に見ることはできないし、
関係を築くこともできません。
あなたが何を言っても、
あなたに対する私の意見が真実なので、
あなたの声より自分の思考の声に耳を傾けます
こういうわけで私は意見をもっているかぎり、
あなたの言葉に耳を傾けることも観察することもできないのです。
意見が私の観察を歪ませてしまいます。
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意見をもつ=結論に至る
私があなたのことを意地悪だと思い込んでいると、
あなたのとるどんな行為も私には、
意地悪な行為として映ります。
意見をもつと常に変わりゆくあなたを、
敏感に感じとることはできません。
『あなたは○○だ』と既に結論に到っている私が、
あなたの微妙な変化に気づくことはできないからです。
刻々と変わりゆくあなたを、
意見という型に押し込むことはできません。
従って意見こそが、あるがままの観察を妨げるのです。
「そんなこと言ったってみんな意見はもっているし、
意見は必要じゃない?」
あなたはこう思うかもしれません。
だからまずは、意見の正体を知ることが大切です。
危険な場所だとわかっていたら、近づかないでしょう?
意見をもつ危険性をしっかり見ることができたら、
それをそっくり片付けてしまうのではありませんか?
意見をもつ限り、人と衝突する
意見を持つことが分離を生み、
分離こそ世界の争いの原因だという事実を見てください。
あなたの意見が、世界の争いの原因なのです。
この危険性を理解して、意見から速やかに離れましょう。
事実に意見は必要ない
事実に二元性はありません。
東から昇る太陽をみて、
「いや、西から登ると思うよ」とは誰も言いません。
事実に意見の介入の余地はありません。
私たちが常に事実とだけ向き合うときには、
どのような人との間にも分離・対立は生じません。
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