無秩序な思考に気づく
思考の正体を理解すると、何が起こるのでしょうか?
思考が働いているかぎりそれが作り上げるものは何であれ
思考の領域を出ることはなく、
よってそれは時間に縛られていて常に断片的であるという
事実を見るとき、あなたの思考に何が起こるでしょうか?
そのときあなたの思考は止まりませんか?
その事実に愕然として、頭の中は真白になりませんか?
そのとき全ての知覚は感受性は、繊細で鋭敏です。
これまではいつも思考が活発だったために、
思考の雑音で知覚できなかったものを、
あなたは知覚します。
思考のいかなる動きも混乱に導くと、
理解することで生じる鋭敏な精神が、
思考をあるべき場所に配置します。
思考は悪さをするばかりではないので
鋭敏な精神は、思考の真(本当)と偽(噓)を見て
必要な時のみ思考を働かせます。
鋭敏な精神=知性
この鋭敏な精神こそが、知性ではないでしょうか?
知性は知識とは異なり、
思考が自らの限界を理解したときに初めて知性は生まれます。
思考のかわりに知性が働くとき、
その行動には秩序があります。
国籍や思想、イデオロギー、文化や儀式、伝統や神
といった思考の作り出したあらゆる幻想から完全に自由なとき
知性は生まれ正しい行為が可能となります。
関連記事:知識の正体:いつも不完全で偏りのある知識
正しい秩序ある行為
自分の考えや知識、偏見・イメージ・結論で一杯のとき、
私たちに正しい行動をとることは可能でしょうか?
嫉妬・憎しみ・欲望・好き嫌いに囚われているとき、
私たちは正しく行動することができますか?
関連記事:意見が人を分離衝突させる
結論は探究心・好奇心を殺す
自らが作り出した神や仏で心が一杯のとき、
私たちは思考や時間を超えたものを
見出すことができるでしょうか?
関連記事:人はなぜ神を求めるのか
今回は皆さまを質問攻めにして終わりますが、
これらのことについて深く調べてください。
あなたが深く調べ思考の正体と限界を洞察するとき、
その洞察があなたの思考を正しい位置に置いて必要な時のみ
思考を働かせるようになるでしょう。
思考が邪魔になるときには、
思考を働かせずに思考から自由な秩序ある行為を
とることができるでしょう。
思考を理解するときのみあなたは、
思考に囚われず、物事をありのままに観察し
混乱をもたらすことのない秩序ある行為を
とることができるのです。
関連記事
無選択の気づきと利己的な思考
混乱の原因である自己/自我/セルフ
思考が理解を妨げ空間が理解をもたらす
部分的行為は混乱を全体的行為は秩序をもたらす
0 件のコメント:
コメントを投稿