方法・方式は、目的・目標・方向があることを示唆しています。
希望大学に入る為、資格取得のための勉強法、ダイエット法
食事法、運動法のように何らかの方法が存在するとき、
そこには必ず動機・目的・願望があります。
技術的な分野においては必要かもしれませんが、
内面の事柄に関して方法は必要なのか、
方法の背後に必ずある
動機・目的・願望をもつことで何が起こるのか、
見て行きましょう。
瞑想法を実践するとどうなるの?
希望を胸に、あなたは毎日真摯に瞑想します。
毎日行うことで、その行為は機械的になります。
繰り返される行為はどんなものであれ、
精神を狭く限定的にし鈍感にします。
その事実を見て、あらゆる瞑想法を手放します。
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瞑想に方法がある=到達地点がある
到達地点がどこであれ、
それは既知のものであり既知は真理ではありません。
あなたが山に登るときには、いくつかのルートがあります。
どのルートで登っても、同じ頂上に辿り着きます。
ルートは前に誰かが登ったから、できたわけです。
誰も登ったことのない山には、ルートは存在しません。
誰も踏み入れたことのない場所に、道は存在しません。
ルートがあなたを頂上に導くように
瞑想法はあなたを目的地に導きますが
その目的地は既に、誰かが到達したことがあり、
既に知られているものは真理ではありません。
真理は固定されたものではなく、常に新鮮で未知のものです。
ですから方法のつく瞑想は、私を真理に導くものではない
ことを理解し、あらゆる瞑想法を手放します。
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瞑想法を実践するときには、動機・目的・願望がある
- 真理に到達したい
- 瞑想は心身に良いと何かの本に書いていたので、試してみたい
- リラクゼーションになるらしいから、トライしたい
- 仕事で結果を出すために、クリアな思考を手に入れたい
- 平安を手に入れたい
- 落ち着きのある人間になりたい
- 聖者のようになりたい
- 良い人になりたい
どんなに崇高な願望であってもそれは、
お金持ちになりたい、成功したいといった願望と変わりありません。
どちらとも同じ願望だからです。
願望には必ず中心があります。
「私」という中心です。
コンパスで円を描いた時の真ん中が「私」です。
自分から自分の家族、そして自分のコミュニティ、自分の国と、
自分から遠くまで離れようと、円が大きくなるだけで、
円の中心である私から生じる活動はどれも限定的で利己的です。
私の成功、私の理想、私の野心、私の経験、私の知識、私の願望....
中心がある限り、利己的な活動は止みません。
本質が利己的である私(中心)がどんなに瞑想しようと、
真理に出会うことはできません。
自己の願望により、自己を放棄するために瞑想しているという
矛盾を見て、あらゆる瞑想法を捨て去ります。
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自己・自我・セルフはいつも利己的です
瞑想法を実践するあなたは、権威を受け入れている
『このようにして座り、呼吸はこうで、
あなたに相応しいマントラはこれ、
時機が来たら、次の段階の瞑想法を教えるから、
それまでしっかりと実践するように』
あなたはこのように権威を受け入れます。
瞑想法が記された書物の権威、
瞑想法を伝授する指導者の権威を受け入れます。
何かに達したいという願望があるかぎり
あなたは安易に権威を受け入れ忠実な犬となるのです。
あなたが良いと感じたことだけ実践したとしても、
それはあなたの限られた思考が判断し取捨選択するので、
辿り着くところは既知となりまです。
願望がある限り、あなたは腐敗します。
この事実を見て、あらゆる瞑想法を退けます。
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宗教・指導者・助けをなぜ求めるのか?
瞑想には方法は存在しない
瞑想法の正体をしっかりと見ましょう。
その虚偽を見てすっかり手放すのです。
全ての権威・あらゆる方法・方式を問うてください。
あなたの内にある願望や希求、動機を調べてみるのです。
何にも汚染されてない目でしっかり見て問い調べることが
真の瞑想です。
あなたは全ての宗教、教義、霊的指導者、グル、聖典、思想、
哲学、思想家、専門家、瞑想法、書物、方法、方式の偽りを見て、
あなたを支えるあらゆる杖を葬り去って一人で立つのです。
そして自分の内と外を、注意深く観察します。これが瞑想です。
そこには、師も弟子も方法も方式も存在しません。
あなたは一人で、進むのです。
道なき道を。
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