外側のシンプルさ・ 単純さ・簡素さ

2019/01/24

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なぜ私たちは常に、外側から取りかかるのでしょうか?

エマソン・ソロー・ガンジーのように、
簡素に生きることを実践した人たちの影響でしょうか?

ここ数年、物をできるだけ持たない生活を実践する、
ミニマリストと呼ばれる人たちが、
多くなったように感じます。

しかし物に依存することも、
物をもたないことに依存することも
同じ依存ではありませんか?


彼らの中にはYouTubeやブログ、本という媒体を通して、
持ち物全部を公開する人もいます。

「ついに持ち物100個を切りました」
 と所有物の数を公表しています。

ここでは所有の是非ではなく、
なぜ私たちが自らの内面を簡素にすることから
始めないのか調べていこうと思います。





人は何故、外側から始めるのでしょう?



なぜ持ち物をどこまで減らせるかが、
そんなに重要なのでしょうか?





ミニマリストの動機



物を所有することに生き甲斐を感じている人と、
物を減らすことに生き甲斐を感じている人と、
どこが違うのでしょうか?


・自分は物から自由なのだという、意思表示ですか? 

・内部はどう手をつけたらいいかわからないから、
 外側から取り組むのでしょうか? 

・それとも持ち物をシンプルにすることで、
 内面もシンプルになると信じているのですか?

・内面が複雑だから正反対のシンプルさを、
 求めているのではないですか?





理解が複雑さを取り除く



自らの内部の複雑さを理解すれば、
その理解が私たちを物から自由に
してくれるのではないでしょうか?

そのときには意思表示する必要はありません。

単純さは育むものではありません。

単純さは内部の複雑さがなくなったとき、
生まれるものです。

持っているものの多い少ないで、
その人が単純かどうかはわかりません。

暗闇がなくなると光は現れるように、
内部から複雑さがなくなると単純さは現れます。

そのとき外側を意志の力で、
単純にする必要はありません。

変化は常に内部から起こり、
それは必ず外側にあらわれます。

ですから単純にしようと努める必要は、
ないのです。

自らの複雑さを洞察した精神は、
思考・知識・性欲といったものを、
各々に相応しい場所に置きます。

そして適切な場所で機能するので、
その人の全行動には秩序があります。





複雑な人が単純さを求める



自分自身の内部が無秩序なとき、
私たちは外側に秩序を求め、
自分自身の内部が複雑なとき、
私たちは外側に単純さを求めます。

秩序がある精神が、
簡素さや秩序を求めることはありません。

ですから持ち物を簡素化するのではなく、
内面をしっかり見つめてみましょう。

所有物をどんなに少なくしても、
あなたの心が複雑であれば、
あなたは決してシンプルではないのですから。

内面の複雑さを一切の判断なく観察するなら、
求めずとも外側に単純さは生まれて、

あなたは内外共に単純になります。

外側が内側を変えるのではなく、
内側が外側を変えるのです。

所有物が心を変えるのではなく、
心が持ち物に作用するのです。




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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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