ある本に女優さんと殺処分される動物を保護する活動を
している団体の代表者の対談が載っていました
その女優さんは動物が大好きで自宅で犬を何匹も
飼っているらしく殺処分の現状に心を痛めていて
自分にできることがあればどんなことでもしたいと
代表の方に協力を申し出ていました
その内容に私は違和感を覚えました
特定の動物だけを愛するのは愛ではない
多くの人が動物に愛情を持っています
動物番組や動物の写真集などをみるとそれは明らかです
しかしその愛情は非常に狭く限定的ではないですか?
彼らの愛情は牛や豚、鶏や魚といった
彼らが食する動物には及んでいないのですから..
彼らは動物を愛しているというより
特定の動物だけに興味・関心があるようです
彼らの愛情は犬や猫に限定されています
だからそれは愛ではありません
というのは愛は何かを締め出したりはしないからです
愛があればそれは全てに注がれます
太陽のように全ての人、全ての動物に光をあてます
※『愛は無償』 『気づき・アウェアネスの大切さ』
動物が不当に扱われているという事実を見ている?
動物を本当に愛しているのなら今この瞬間も
屠殺場で行われている残忍な行為を無視して
食するなどできません
殺処分の現実を涙ながらに訴えたその女優は
牛や豚や鶏や魚が無情に殺されている
現実にも涙するのでしょうか?
彼女の涙が嘘だと言っているのではありません
ペットに対する彼女の想いは本物でしょう
しかしペット以外の動物に対して日々どのように
関わっているか彼女は見ることができていません
あなたもそうではありませんか?
※『ヴィーガンになることは重要ではない、傷つけないことが大切』
殺されてゆく動物の悲しみがわからない鈍感な精神
私たちはなぜこうも限定されているのでしょう?
美しいもの、快いものには敏感で
醜いもの、見たくないものに鈍感なのは
鋭敏な精神のすることではありません
敏感な精神は美にも醜にも
快いものにも不快なものにも
戦争にも平和にも喜びにも怒りにも
あらゆることに対して敏感です
※『気づき・アウェアネスの大切さ』
私たちは動物を区別するよう条件づけられている
あなたが愛情を感じる動物と
食する動物の違いを調べてください
あなたはいつどのようにして
食べていい動物とそうでない動物を分けたのでしょう?
私たちは社会や教育を通してそのように
条件づけられているだけではないでしょうか?
しかしそれは人間に都合の良い分類です
※『条件付けに気づく』
動物の悲しみに対して鈍感な精神を見つめる
動物は人間の舌を満足させるために
生きているのではありません
人間の舌を満足させるためだけに命を奪われる動物の
悲しい一生について今一度考えてください
動物の立場になって考えてください
そんなことには何の興味も感じずに無関心な
精神を直視してください
動物の悲しみを感じることもできない
あなたの鈍感な精神をしっかりと見つめましょう
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