欲望は抑えないでそのメカニズムを理解するのが大事

2019/01/26

気づき 観察 思考 怒り 暴力 抑制 動機 欲望 願望

t f B! P L






殆どの宗教は欲望をコントロールすること、欲望を断つことを
重要視しています。

しかし欲望に抵抗したり抑えようとするのではなく
欲望を持続させているものは何かを見い出すことが
大切ではないでしょうか?


私たちは欲しい物がコロコロと変わります。

今日は○○が欲しいと思っても数日後別の物が欲しくなる
なんてことはよくあることです。

欲望は思考と同じでコロコロと変わります。

思考が別の思考と対立するように、
欲望も別の欲望と対立するのです。





どのようにして欲望は生じるのか?



私は素敵なワンピースを、お店で見かけます。
お店に入り、 ワンピースを手にとります。

肌触りはいいか触って確かめます。
形や色の美しさを改めて感じます。

ここで思考が生じます。

素敵なワンピースを着た自分の姿を想像します。
ワンピースを手に入れたときの気持ちを想像します。

こうして思考に後押しされて、
「このワンピースが欲しい」と私が言うのです。





思考がよぎったときに欲望は生じる



思考が介入するまで、そこには知覚しかありません。

目で見て手で触れ快い感覚を感じます。

ここで終われば欲望は生じません。

欲望が生じないので欲望がもたらす
葛藤や嫉妬、羨望、失望感は生まれません。

望み通りにワンピースを購入したら喜びや満足感を得ますが、
ワンピースを買えなかった場合、手に入れることのできない自分に
苛立ちを覚えたり、買えない環境を呪ったりします。

自分に対して苛立ち、
買える人に対して嫉妬や羨望を抱くようになります。

そうはいっても思考が介入するのを無理矢理止めようとしても、
止めようとしている私もまた思考の一部ですから、
止まる筈はありません。

それは跳ねているボールが
自分自身で止まろうとするようなものです。






そうではなくて全てに注意を向けるのです。

素敵なドレスを見た時の感覚に、全的に気づくのです。

何かに完全に没頭しているときには思考は働きません。

全てに気づいていることが、思考を無理なく終わらせる鍵です。





欲望を抑えると感覚器官は鈍くなり、
鈍い感覚器官は繊細な美しさを感じとれない



筆者はある期間僧侶と共に過ごしましたが、
彼らは感覚器官を働かせまいと異性を極力見ないよう
努めていました。

見ると性欲が刺激されるのでそれを避けるためです。

自分は生の美を避けながら、
生とは何かを人々に説いているのです。


自然な機能である知覚を抑制し続けるとどうなるでしょう? 

性欲に限ったことではありませんが
感覚器官は抑え込まれると激しく抵抗します。


そうです、性欲は僧侶の中で燃えていたのです。

同じように私たちも欲望を抑えることで
かえって欲望を強めてしまうのです。

それでも抑え込もうとするとどうなるでしょうか?

感覚器官は無感覚になり鈍感になり麻痺してしまいます。

性欲の場合でいうと性欲はなくなりますが
抑制し過ぎた結果、他の知覚まで鈍くなります。

性欲はなくなっても、
自然の美しさといった生の美しさに鈍感になるのです。





欲望の構造・メカニズムを理解すると、
その理解が欲望を終わらせる!



欲望を抑えること、コントロールすることの危険を
しっかり見ましょう

欲望の全貌に気づけば、
何もコントロールする必要はありません。


気づきが欲望を終わらせます。

あなたが欲望のメカニズムを理解すれば、
その理解が性欲や睡眠欲といった基本欲求を
生の適切な場所に置くので欲望が暴走することはありません。

そこには意志の力も厳しい鍛錬も必要ありません。

欲望のメカニズムを理解し、その危険への気づきが
所有欲や貪欲さを終わらせるのです。

意志がではなく....



関連記事
執着の全構造・メカニズム
嫉妬を焼き尽くす観察の力
気づき・アウェアネスの大切さ
努力・葛藤・抑制のない自由な生

このブログを検索

アーカイブ

自己紹介

自分の写真
真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ