比較から自由であるということ
比較から自由になるとはどういうことなのか、
比較しないとはどういうことなのかを、
今回は一緒に見ていきましょう
比較から自由である = 理想をもたない
◎比較から自由であるということは
理想を持たないということです
理想とは....
・いつも穏やかで何事にも動じない私
・愛に溢れた私
・成功した私
比較から自由な人はこういった理想を持ちません
【あるがままの自分】から少しでも離れると
人は必ず葛藤して苦しみます
どのような理想も幻想でしかないのに
現実~あるがままの自分~から離れて
理想を追いかけると私たちは
「実際の自分」と「理想の自分」という
二元性を生み出してその間で葛藤して
苦しむことになります
理想は比較から生まれるのです
この意味をあなた自身でよく考えてください
あなたの理想はあなたの尊敬する人の生き方や
社会が称賛する人物、好きなドラマや映画の
キャラクターをミックスして出来上がったものです
つまり理想というのはあなたがこれまで
見聞きしたものを比較評価して出来上がった
ものなので理想は比べることなしには生まれないのです
※『理想を捨てると自己観察・自己理解ができるようになる』
比較から自由である = ヒーローをもたない
◎比較から自由であるということは
ヒーローやヒロインを持たないということです
ヒーローとは...
あこがれの芸能人や先輩、マザーテレサや仏陀
ガンジーや空海、チェゲバラやネルソンマンデラ etcです
ヒーローを持つと(先ほども言いましたが)
あなたは『あるがままの自分』から離れてしまいます
仏陀やガンジーにあこがれて彼らに近づこうと
しているときあなたは『あるがままの自分』
から離れています
あなたは『今の自分』と『仏陀のような精神性を
もった未来の自分』という二元性を作り出して
この狭間で葛藤します
理想は必然的に葛藤をもたらします
なぜならそれは”あなた”ではないからです
あなたではない誰かになろうとすると
追いかける概念と実際の自分とのギャップに
落ち込んだり絶望したりしてしまいます
理想をもつとあなたは闘うことになります
あなたは傷ついてしまうのです
比較しない人は聖典・哲学書に頼らない
◎比較から自由であるということは
ギータなどの聖典といわれるものから
自由であるということです
どんな神秘体験もそれが真実かはわかりません
そのようなものを基準に自分の精神性を計っても
何にもなりません
比較をしない人は聖典・哲学書に頼りません
比較を落とした人は聖典だけでなく
どんな本にも縛られることはありません
「こうしなさい、ああしなさい」と
アドバイスしてくる専門家からも自由です
比較するときそこに必ず分離がある
比べることができるのは私とあなたの間に
分離があるときだけです
私とあなたの間に分離が存在しなければ
私もあなたも相手と自分を比べようがありません
これは当たり前ですね
ここから深く調べていきます
私とあなたの間には物理的な分離は勿論
ありますが、心理的領域において分離はありません
分離があるように見えるのは
私たちのエゴのせいです
私とあなたを分けているのは私とあなたのエゴです
私のエゴが『自分はあなたとは違う』と言い
あなたのエゴが同じようなことを言って
互いの間に壁を作っているのです
この壁~分離~があるかぎり
私たちはひっきりなしに
他者と比べては優越感に浸って
喜んだり劣等感を覚えて
落ち込んだりを繰り返します
ですから心理的領域における分離はない、
ということを理解して見えない壁を
取り払わなければなりません
壁を壊すと一切の比較は終わるのです
だって分離がないのですから比較しようがありません
※『分離という迷妄』
比較がもたらす醜い感情に気づこう
比較について違うアプローチをします
私はAさんと比べます
私がAさんより格好良くて頭が良く
仕事もできるなら私は優越感を抱きます
このとき喜んでいるのは自我です
エゴは優越感によってどんどん膨らみ
私は自分本位に傲慢になっていきます
逆に、Aさんより劣っていると感じた場合
私はAさんに対して嫉妬や憎しみの感情が芽生えます
あこがれが強すぎてAさんを憎んだり
Aさんの悪い所を実際より大きくして
自分の心を嫉妬から守ろうとします
わかるでしょうか?
比較することで人は醜い感情を抱くのです
比較して幸せになることなどありません
だって優越感を抱いて一時的に気分が
上がってもそれはあなたを傲慢に
するだけだし、優越感によって
膨らんだエゴは誰よりも深く傷つきます
※『自己否定、自己嫌悪、妬みの原因は「人と比べる」ことにある』
人はなぜ比較するのか?
私たちは人と比べることで
安心感や優越感を得たいのでしょうか?
「自分はイケている、まだまだ捨てたもんじゃない」
と自己肯定したいのでしょうか?
そのような気持ちを感じたくて比べたって
世の中にはハンサムで頭のキレる人
仕事ができる人は山ほどいるので
いつか必ず失望することになります
※『人と比べることを手放す』
比較することの愚かさを理解しよう
バラが桜を見て「桜になりたい」と思うでしょうか?
バラはバラとしての命を生きているだけです
バラは桜と比べたりしません
比べるという行為は無益であるばかりか
人を利己的にします
なぜかわかりますか?
比較しているときの心をよく観察してください
比べているときのあなたは自分のことばかり考えていて
自己中心的でしょう?
話が少しだけ逸れますが
私たち1人1人の利己的な行為が
怪物のような冷酷な世界を作ったのです
~話を元に戻しますw~
人と比べれば比べるほど私たちは
自分のことばかり考えるようになる、
という事実をしっかり見つめましょう
そして比較の一切を終わらせるのです
比較が利己心を強化する
1つ例を挙げます
悲しみ・恐怖とは無縁の人がいます
あなたは彼の穏やかさに触れて
「彼のようになりたい」と強く思います
「自分には沢山の悲しみや恐怖があって
生きるのが苦しくて仕方ないのに
彼は穏やかでとても幸せそうだ」と
このときどのような感情が生まれますか?
なぜ自分は彼のようではないのかなどと
自分のことを責めたり、苛立ちや不満
焦りを感じませんか?
自分とは対照的な彼にあこがれを抱きつつ
『イイな~』と羨ましがりませんか?
ここからが重要です
彼と比べたってあなたの悲しみや苦しみが
消えるわけではありません
比較してもあなたが変わるわけではないのです
それどころか比較することによって
現在の悲しみとは別に
不満・怒り・妬みといった
新たな感情をこしらえてしまい
心は複雑な感情が絡み合い
あなたは混乱し葛藤し苦しむことになるのです
このときの心の状態を調べてください
あなたは自分のことしか考えていないハズです
つまり比較は利己心を強めるのです
※『事実に抗うから苦しい、悲しい』
比較対象ではなく『あるがまま』を見つめる
ではどうすればよいのでしょう?
あなたは彼になりたいわけではありません
【悲しみや恐怖から自由】になりたいのです
悲しみや恐怖から自由だから彼に憧れるのです
ですから【彼】にフォーカスするのではなく
あなた自身の悲しみ、恐れを見つめて
理解しなければなりません
心の中にあるものを取り除きたいなら
『あるがままの心』を見つめる必要があります
※『あるがままを見つめるにはどうしたらいい?』
あるがままの悲しみを理解する
悲しみを理解するにはどうしたらいいでしょう?
まずあなた自身を理解しなければなりません
「心の汚れに落ち込みそうで見たくない」と
あるがままの心を観察することから逃げても
悲しみはあなたから離れてはくれません
自分のこころの中で何が起きているのか
しっかり観察しなければなりません
悲しみを理解することによって
あなたは悲しみから自由になるのです
人と比べたって羨ましがったって
あなたの悲しみは消えないのです
※『苦しみ・悲しみから逃避する』
『自己理解は自己観察によって生まれる』
比較がもたらすものとは何?
比較は不満や恐れ、優越感・驕り・嫉妬
怒り・闘争心・憎しみ・不安・自己嫌悪
といった感情を生みます
あなたが人と比較するかぎりこれらの感情から
決して自由になれません
この事実をしっかり理解して
今この瞬間に比較から自由になりましょう
車があなたを目がけて突っ込んできたら
咄嗟に避けるでしょう?
危険な場所には近づかないでしょう?
同じように比較することの危険をしっかり見て
ただちに離れましょう
関連記事
比較・競争・模倣・服従は暴力
個人主義がもたらす孤独と悲しみ
感情から逃げないで感情にとどまる
☆☆
相談を承っております
詳細はこちらをご覧ください
→オンライン相談について
0 件のコメント:
コメントを投稿