私たちは知識ある人を異常なくらいに賛美します。
辞書やネットで調べればわかることを
頭の中に貯えていることがなぜ
そこまで賞賛されるのかは疑問ですが
社会は知識ある人を知識を賞賛します
そして私たちはというと社会が賞賛するものは
とりあえずなんでも賞賛するのです
しかしなぜ知識が奨励されるのでしょう?
知識が人間のあらゆる問題を解決してくれると
私たちは思い込んでいるからでしょうか?
情報を集めれば集めるほど沢山の問題を
解決できると思っているのしょうか?
科学者や哲学者、心理学者や精神科医、政治家や社会学者、
精神指導者らの知識があらゆる問題を解決してくれると
思っているからでしょうか?
学校では、問題を解くことを学びます。
頑張って勉強すると、
問題はスラスラ解けるようになります。
だから私たちは試験問題以外のあらゆる問題も
知識さえあれば解決できると
勘違いしてしまったのかもしれません。
知識とは?
知識とは私たちがこれまで脳に蓄えてきた記憶であり、
学習や経験が記憶として蓄積されたものです
知識は個人の育った環境や受けた
教育・文化・伝統・宗教によって異なります。
仏教徒の両親に育てられた子供は、
怒りを抑制することや感情を表に出さないこと、
感情を抑えることを美徳だと教わるかもしれません。
ヒンズー教徒の両親をもつ子供は、
親同士の喧嘩を真似してイスラム教徒の子供と
喧嘩するかもしれません。
女はこうあるべきだ、男はこうあるべきだと教えられて育った人は、
それが自分の信念となったり、あるいは反動から
反対の考えを持つようになるかもしれません。
このように環境によって信仰する神・宗教・思想は異なり、
社会道徳が異なると、私たちは異なる信念・理想・目標を
持つようになります。
あらゆる知識は不完全
どのような知識であっても、
知識は常に不完全で偏りがあり限定されます。
科学の分野をみるとわかるように、
既存の学説は常に更新されます。
付け加えられるものは、完全ではありません。
知識は必ず無知を伴います。
この知識の限界を、私ははっきり見ます。
知識は過去(既知)である
また知識はたとえ昨日学習・体験したものでも、
常に過去のものです。
そして過去の経験から得た知識をもって問題に直面しても、
現在の問題は決して解決できません。
なぜなら知識のフィルターを通して見たものは、
過去に汚染されているからです。
私が悪い印象をあなたに持っているとします。
私はあなたに抱いたイメージを通してしか、
あなたを見ることができません。
ですからあなたをありのままに見ることはできません。
私は「自分が作り出したあなたの印象」と話しているのであり、
実際のあなたと関係をもつことはできないのです。
知識は必要だが危険でもある
たしかに今の科学や技術、医療の発展は
知識なしにはあり得ませんし、会話するにも
ある程度の知識は必要です。
自分の家の記憶がなければ、家に帰ることもできません。
しかし内面に関しての知識は、
あるがままの観察の妨げとなります。
※詳しくは「知識が観察を歪める」をお読み下さい
アメリカとロシア、日本と中国、イランとイラクの間の
憎しみは根が深く、先祖の憎しみを
現在に生きる私たちは手放そうとしません。
知識は科学•医療の発展に大きく貢献してきましたが、
同じ知識が核兵器を生み出したのもまた事実です
以前は刀や銃で行われていた戦いが今日では
スイッチ1つで何百万の人の命を奪う
怪獣を作り出したのも知識です
心理的知識をもつ危険を見て手放す
このように調べていくと知識には必要な分野と
危険な分野があることがわかります
知識の危険を見ることのできる精神は、
知識を生の適切な場所に置きます。
知識の真と偽を見てそれを押え込むことなく
生の最善の場所に置きます
その精神は知識をやみくもに崇めたりしません
というのもその人は知識の限界や危険をちゃんと
理解しているからです
知識の真と偽を見る精神は知識を必要なときに
活用し毒となるときには使いません
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