人はなぜ、神を求めるのでしょうか?
人類の歴史を通して、人はあらゆる神を求め崇拝してきました。
なぜでしょう?
私たちが日常生活において何の不満・不安もなく恐怖心もなく、
充実した毎日を過ごしていたら、神や真理を求めるでしょうか?
人生が単調でつまらないから
この生以外の何かがあるに違いないと、
探し求めるのではないですか?
何か崇高なものがあるに違いない、あって欲しいとの願いから、
私たちは神という概念を作り出したのではないでしょうか?
人生の空しさ、世界で起こっている悲惨な出来事、
目も当てられないこれらの現実から逃げられないものかと、
私たちは神を求めているのではありませんか?
何があっても自分のことを見放すことのない存在を、
何があっても自分を愛してくれる存在を
愛や優しさで包んでくれる存在を
私たちは求めているのではありませんか?
内面の恐れや不安、不満、暴力的側面に向き合うことから避け、
世界で起こっているおぞましい出来事に背を向けて、
思考は神という概念を作り出し、
避難場所を作り出したのです。
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自分の感情から逃避せず、恐怖や怒り、憎しみや不安、
執着・絶望・悲しみ・葛藤に直面しないかぎり、
世界で起こっている戦争や対立、貧困や差別に
直面しないかぎりどのような神を求めても、
現実は陰のようにぴったりとついてまわり
単調でつまらない日常生活・戦争・貧困・差別は
存在し続けるのではないでしょうか?
ですから、これら全てを調べ上げなければいけません。
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・ 私たちはなぜ恐れているのか、何を恐れているのか?
・ なぜ憎むのか?
・ なぜ葛藤するのか?
・ なぜ対立するのか?
・ なぜ孤独なのか?
これが私たちのとるべき第一歩ではありませんか?
ここから始めるなら、この一切を解決できたならそのとき
私たちはこれまでとは全く異なる新しい生を生きることが
出来るのではないでしょうか。
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努力・葛藤・抑制のない自由な生
・ 自分が成功するためなら何でもする生き方から、
互いを思いやる生き方へ
・ 自国の為に他国を犠牲にするのではなく、
世界の平和を考えよう
戦争も競争やいがみ合いもなく互いが互いを思いやり、
大切にしあう世界になっても、
私たちは神を求めるでしょうか?
充実した生を生きるとき、
みんなが互いを思いやって生きるとき、
私たちは恐怖や不安や不満を感じるでしょうか?
私たちの不安や不満感、恐怖が、
神を作り出したのではありませんか?
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わたしは神が存在しないと言っているわけではありません。
神を信じることも信じないことも同じだからです。
一方は神が存在することを信じ、
他方は存在しないことを信じているだけだからです。
お互いが信じていることに変わりはありません。
お互い既にしっかり、結論を持っているのです。
私たちは「神が存在するのか調べてみよう!どのようにして
神を求めるようになったのか調べてみよう」とは言いません。
代わりに私たちは、神を信じるか信じないかの意見を交わし
反対意見の人を論破しようとします。
自分の意見を手放さず、反対意見の人と討論し対立します。
これこそ世界で起こっていることです。
これこそ戦争の根源です。
そう私たちは普段から対立しているのです。
自らの意見を持っているからです。
自分が信じる結論を手放さないからです。
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