苦しみ・悲しみから逃避する

2019/07/05

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私たちの多くは苦しみや悲しみを感じると、それに抗おうとします。

お酒を飲んだりテレビを観たり友達と話し込んだり、
ギャンブルに夢中になったり信仰に逃げたりと、
ありとあらゆることに逃避し、
一瞬でも苦しみから自由になろうと必死です。

しかし現実から逃避するときはいつでも、精神は正気ではありません。





キリスト教の影響なのでしょうか、
私たちは苦しみを何か立派なこととみなし、
苦しみは避けては通れない必要な経験のように考えがちです。

「苦しむから、他人の苦しみが理解できる」
「辛い経験をしたから、他人の痛みがわかる」
「同じように苦しむ人を助けるために、今苦しんでいるのだ」
「苦しみを経験した人は、他人に優しくなれる」

このような意見を耳にしませんか?





苦しみを経験しないと人の苦しみを理解できないというのは、
ドラッグをやらないとその依存性を理解できない、
と言っているのとあまり変わりありません。

病気にならないと病気で苦しむ人の気持ちは、
わかりませんか?

タバコを吸わないと、タバコの害を理解できませんか?
悲しみを経験しなければ悲しむ人の気持ちは、
わかりませんか?
貧しさを経験しなければ、
貧しい人の気持ちはわからないのですか?

このような解釈は「苦しみや悲しみは避けられないもの」
という認識から生まれたのではありませんか?

どうしたって避けることができないものなら、
ポジティブに考えようじゃないかと、
苦しみを何か立派なこととしてみなすようになりました。





このように私たちはいつも、都合のいいように解釈します。

しかしこんなひねくれた精神が、
あるがままに出会うことはありません。

悲しみを解釈したり逃避するときには、
あなたはありのままの悲しみを理解することはできません。

そして理解できないから、人は繰り返し悲しむし苦しむのです。

苦しめば苦しむほど、悲しめば悲しむほど、
私たちはそれから逃れようとし幻想を作り出し、
何とかして逃れる手段を見い出そうとします。

ですから正気で健康な精神は苦しみを理解して、
苦しみから自由にならなければなりません。


※次回は苦しみ・悲しみから自由になることは、
 可能なのか調べます。→ 苦しみ・悲しみを探究する①




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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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