「わたし」とはいったい何でしょう?

あなたが「わたし」と呼んでいるもの、
「わたし」を構成しているものとは何でしょう?





「わたし」の正体



私=肉体+感覚器官+知識+経験+記憶+感情+
信念+信条+プライド+欲望+目標+理想+
意見+価値観+イメージ+所有物+財産+地位+
仕事+信仰 ....etc....

知識や経験の多い少ないはあっても、
これらが世界中の人の「わたし」
を構成している正体です。





「わたし」を形成するもの全てを落とす



肉体と感覚器官、所有物、財産以外の構成物は、
目に見えないものです。

目に見えないけれども、
社会や人間が価値を置いているものです。
私たちが大事にしているものです。

仮にこれらをすべて落としたら、
どうなるでしょうか。

もちろん肉体・感覚器官・所有物・財産は
物理的・生物学的に落とせませんが、
これらに対する心理的な執着は、
落とすことはできます。

つまりあなたが一体化しているものを、
落とすということです。

車やお金、自慢の庭や宝石
容姿に対する執着、
そして上記に挙げた意見や信念の
一切を落とします。

するとどうなるでしょう。





「わたし」は実在しない



「わたし」はゼロになります。

私−(肉体+感覚器官+知識+経験+記憶+思考+
感情+信念+信条+プライド+欲望+目標+理想+
意見+価値観+所有物+財産+地位+仕事+信仰)
=0

私を構成するものがゼロになります。

正確に言うと、命があるかぎり、
肉体と感覚器官は残るのでゼロではありませんが、
あなたがこれまで自分だと認識していたものが、
実在しないものだということがわかるでしょう?





分離が消えるとき



想像してください。

構成物には、それぞれ色がついてます。

この色の配合の違いによって、
私たちは個性をもちます。

しかし色とりどりの構成物を取り去ると、
あなたの色はどうなりますか?
 
私もあなたも無色となります。

双方とも無色なので、 
あなたと私の間の境はなくなります。

私たちは分けようとしても、
分けることができません。

空気や海を分けることができないように、
私たちも分けることはできないのです。

勿論肉体以外....ですよ?





知的に理解するのではなく事実を見る



私たちは実は誰一人として、
分かれてはいないのです。

「わたし」を構成していた構成物が、
私たちを分けていただけだったのです。

言葉による説明や観念の知的な受け入れではなく、
あなたがこの事実を見るなら、
誰かと区別したり差別したり、
嫉妬したり恨んだり、
競争することはなくなります。

構成物を落とすと、私とあなたは容姿以外
なんにも変わらないということが、
明白だからです。

たしかに容姿は違いますが、
容姿に対する執着も落としていますので、
あなたは他者との間に分離を感じません。

なぜかというと容姿への執着を落としたあなたは、
優越感や劣等感を抱くことはないので、
優越感や劣等感から生じる分離も、
生まれないのです。

愛というものがあるのだとしたら、
このように分離のないところ、
境界がなく限定されていないところ、
自由があるところに、
存在するのではないでしょうか?





自分で調べる・発見する



あなたが「わたし」と呼んでいるものの中身を、
ご自分で調べてください。

そしてその正体がわかったら、
あなたの生き方はすっかり変わります。

それはそうでしょう?

何十年もあると信じて疑わなかった、
分離という壁が実在しなかったことが
わかったのですから。





自我が消滅すると正しさ・秩序が生まれる



構成物を取り去ると、
あなたは自分を守る必要など、
どこにもないことがわかります。

分離がどこにもないのですから、
守る必要はありません。

私たちがバラバラに分離したときに初めて、
各自で守る必要性が生じます。

これまでは知識や経験、意見や信念を
できるだけいっぱい蓄積して秀でること、
他者より魅力ある人間になることが大事でしたが、
分離が消滅した今、
この行為のすべてが終わりを迎えます。

あらゆる葛藤・努力・競争からも、
あなたは自由です。

なぜなら葛藤・努力・競争は、
分離のないところでは、
生存不可能だからです。

「わたし」が消滅するとき、
自己中心的な行為の一切が止みます。

自我がこのように消滅すると、
私たちは自然と同様、
永遠に秩序正しく、
生命〈いのち〉を輝かせることができるのです。





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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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