見つめるということ
美術館にいるとします
今あなたは、絵と対峙しています
絵の前にはそれを描いたときの画家の状況や絵のタッチの説明
時代背景などの解説があります
ここで質問です
あなたはどのように絵と対峙しますか?
まず解説を読みますか?それとも絵を見ますか?
それとも絵を見て解説を読み、もう一度絵を見ますか?
知識は観察の邪魔になる
私たちの多くは知識を頭に入れて絵を見ることで
よりよく理解でき絵の美しさを堪能できる..
その価値を理解することができると思っています
しかしどのような知識も頭に入れずに絵と対峙するとき
絵が発する美しさを感知できるのではないですか?
知識で外側をガチガチに固めて理解した気になりますが
それでは絵が発する美しさを見逃してしまいます
なぜならあなたと絵のあいだに知識が入ると
観察は必ず知識の色に染まるからです
※『色眼鏡を外して見る』 『知識は人を鈍感にする』
イメージを介すとイメージの色に染まる
恋人と接するとき、家族や友人と接するとき
長い時間をかけて出来上がったイメージが
あるのであなたは相手を『知ってる』と
思い込んでいますがイメージを払拭しなければ
ありのままの相手を見ることはできないし
理解することもできません
なぜならイメージというフィルター越しに
見ているのであなたの観察は歪んでおり
正しく見てないものを理解することはできないからです
※『イメージなき観察=あるがままを見つめる』
「知っている」ことに情熱・興味はもてない
人は「知っている」と思っているものに注意を払えません
いつも通る道、住み慣れた町、空の青さ、妻の愚痴、子供の叫び声...
これらのことにあなたはきちんと気づけていますか?
既に「知っている」景色を理解したいという
情熱・興味・好奇心・探究心はありますか?
「夫のことは十分過ぎるほどわかっている」と言うとき
あなたは情熱をもって彼を見つめることはできないので
彼の新たな一面を発見することはできません
これは相手が誰でも同じです
※『結論は情熱・関心を殺す』
『知識を手放し「わからない」から始めよう』
イメージは観察を歪めるので理解の邪魔になる
あなたには仲の良い友達がいます
しかし現在の彼女はあなたが最後に会った彼女とは違います
同じではないというところがポイントです
全く違うか少し違うかは問題ではありません
とは言え、彼女が別人のように変わっている場合もあります
すっかり変えてしまう出来事や出会いがあって
生き方・考え方全てが変わることもあり得るからです
だからあなたが抱いている彼女のイメージは
役立たないばかりか現在の彼女を理解するのを
妨げてしまうのです
このことをしっかり理解しましょう
あなたが持っているイメージが誰のものであろうと
役立つことは決してありません
かえってそれは邪魔になります
イメージをもっていても仕方ないことがわかったら
思い切って捨ててしまいましょう
※『イメージが真の人間関係を阻んでいる』
『イメージを一掃すると真の関係が生まれる』
生きているものと関わるということ
生きているもの~人・動植物~は刻々と変わります
ですからこしらえたイメージに安住せずに
刻々と変化している相手について行かなねばなりません
目の前の相手をしっかり見ることなく
相手に関する取扱説明書を読みこんでも
彼・彼女のことを理解することはできません
きちんと理解するには鋭い観察が必要です
生には生で対処しよう
命あるものと関わるときには
私たちは常に新鮮でいなければなりません
新鮮な脳、新鮮な目、新鮮な心が必要です
過去に染まった淀んだ目では正確に
見ることはできません
また些細な変化に気づける鋭敏さ・繊細さが必要です
そのためには心が閉じていてはダメです
心はあらゆることに開いてなければなりません
プログラムされた自動操縦では
相手の心の変化について行くことはできません
だから新鮮な空気がいつでも入ってこれるように
頭も心もいつも全開しておきましょう
※『ケンカの原因はあなたのイメージと知識』
『イメージを手放さないと真の人間関係はない』
過去は静止画面、現在はライブ動画
テストには必ず決まった答えがありますが
現在〈いま〉に決まった答えはありません
テストの解答は固定されていますが
~今日の正解と明日の正解は同じ~
現在に同じ瞬間は一つもないので
【いつも正しい行為】はないのです
それなのに私たちはテストと同じ姿勢で
生きものに向き合っているから
現在に適切に対応できずに人とぶつかるのです
※『正しさはどこにある?』
『刻々と変化する生とパターン化した心』
初めてのように相手と出会う
初対面の人に注意を払うときのように
恋人・友人・母親・子供をしっかり見つめます
本当にそうすると長年連れ添ったパートナーに
飽き飽きするようなことはありません
フレッシュな目で相手を見ているときには
毎回新たな発見があるので飽きることはないのです
知っていると思うから発見がないのです
繰り返しになりますが「知っている」と思い込んでいると
探究心や好奇心は生まれないものです
一度読んだミステリー小説を最初と同じ情熱で
読むことはできないですよね?
(完全に忘れていたらできますが..)
しかしもしあなたが初めて会ったかのように
相手と関わるなら相手を知りたいという
情熱・好奇心は泉のように沸き上がります
誰かを理解するには情熱が必要なのです
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