ガチガチに固まった心では
生を新たには見れないことを
この間の記事でお話しましたが
イマイチよくわからないという
意見をいただいたので今回は
例えを挙げながら説明します
あなたが嫌いな人と接するとき
過去の相手の言動で
心は凝り固まっていませんか?
相手の印象がすでに出来上がっていると
あなたは目の前の相手を新たに
見ることはできません
色のついた眼鏡をかけているので
あなたの観察はあなたが持つ相手の
イメージの色に染まります
つまり...
あなたが相手の印象を手放さないかぎり
現在の相手を正確に見ることはできないのです
イメージでガチガチに固まった心では
物事の本質をつかむことはできません
※『イメージが関係を阻む』
「苦手な相手との付き合い」
を併せてお読み下さい
良いイメージでも悪いイメージでも
イメージを持っていれば
それは必ず観察の邪魔になるので
イメージを取り除くことが大事なのです
※『イメージを持つということ』
を併せてお読み下さい
もう一つ例を挙げましょう
「人は必ず苦しむものだ」
このように思い込んでいると
現在感じている苦しみと
初めて出会うかのように
現在の苦しみと向き合うことは
はできません
苦しみを感じながら「またこの感覚か」
と思ってただ降参するだけで
苦しみと向き合おうことはないのです
人は苦しむものだと思い込んでいると
わざわざ苦しみを調べようとは
思わないからです
すでに結論に至っている人に
探究心はありません
※『結論は探究心を殺す』
『レッテル・ラベルを貼る』
を併せてお読み下さい
「苦しまない人などいない」
という考えで凝り固まった心は
今感じている苦しみと新たに
向き合えないのでいつまでも
苦しみ続けることになります
これが凝り固まった心でいることで
起こる悲劇です
※『苦しみを探究する』
を併せてお読み下さい
知識でガチガチに凝り固まった心もそうです
どんなに植物に詳しくても目の前の植物は
あなたが植物に関して蓄積してきた
知識とは異なります
しかし『既に知っている』という思い込みが
目の前の植物を注意深く見つめさせないので
あなたは植物の知識をただ持っているだけで
目の前の生命の美しさや儚さを
捉えることはできません
これが知識でガチガチな心に起こる悲劇です
※『わからないから始める』
を併せてお読み下さい
ただ誤解しないでください
機械のような物質は
刻々と変わりはしないので
それについての知識は役立つし
持っていても害になりません
車が故障したときには
知識は非常に役立つものです
※『知識のふさわしい場所』
を併せてお読み下さい
ただ...
常に変わりゆくものを捉えるには
心を固めている意見や偏見、
結論やイメージ、教条や知識を
手放さなければなりません
生きているものは固定された心では
捉えられないからです
※『刻々と変化する生』
を併せてお読み下さい
刻々と変わり続けるものを
理解するには心は
水たまりではなく
川の流れのように流れて
なければならないのです
このことをきちんと理解すると
あなたの理解が意見や結論
教条や知識を蓄積することを
拒むのでこれらが観察を
歪めることはなくなります
意見や結論、教条や知識は
不要であるばかりか観察を
歪めることに気づいたあなたは
一切を蓄積しなくなるので
心は透き通った湖面のように
物事をありのままに
映し出せるようになります
※『刻々と観察する』
『見るとは自由であること』
を併せてお読み下さい
☆☆
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