心理的記憶とイメージを一掃すると真の関係が生まれる

2019/04/26

愛 真理 自由 秩序 関係 気づき 観察 比較 分離

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良好な夫婦関係


夫婦関係に記憶を持ち込まず、お互いのイメージをもたずに、
良好な関係を築くことはできますか?

この問いを調べるためにまずやらなければならないことは、
自分の反応や意見、結論を手放すことです。

「記憶はどうしようもないものだし、
 イメージは自分の意思とは関係なく出来上がっていく」

このように思っているかもしれませんが、
あなたの意見やイメージを手放さなければ、
問いを探究することはできません。

まっさらな状態から始めなければ、
問題を全体的に見ることはできません。

息を吸うためにはまず吐かなければならないように、
未知なるものに出会うためには、
考えや結論を吐き出さなければならないのです。

この最初の一歩が大切です。

なぜなら始めの一歩が既知に染まると、
未知のものを発見することはできないからです。

予想したり何らかの結論をもって問いに取りかかるなら、
望み通りの答えか想定内の答えにしか辿り着けません。

予想・結論・意見・経験は、過去に基づくので、
導き出される答えは過去の色に染まります。

過去はいつも限定され部分的で不完全なものだから、
そこから導き出される答えもまた不完全です。

未知のものを見出すためには、
既知を捨てなければならないことを理解して、
意見や結論を手放しましょう。 


現在の夫婦関係を理解する


あなたの現在位置を確認するためにも、
まずはあなたの夫婦関係を理解しましょう。

実際の夫婦関係を理解しなければ、
問いの答えは見つかりません。

良好な夫婦関係がどのようなものかを見い出す為には、
まずあなたの実際の夫婦関係を理解しなければなりません。

実際の関係がどのようなものかを知らずに、
理想の夫婦のあり方について考えを巡らせても、
あなたの夫婦関係が変わることはありません。

道に迷ったときには立ち止まって、
今いる場所を正確に知ることが大切です。


ありのままの夫婦関係を見つめる


どんな夫婦にも長い歴史があります。
楽しい思い出や辛い思い出があります。

様々な経験を共有している夫婦は、
記憶という絆で深く繋がっているとも言えます。

辛い時に支えあったこと、一緒に乗り越えた困難と、
夫婦には楽しい思い出、苦い思い出があります。

  • 今朝、夫は私の顔を一度も見ずに会社へ行った
  • 昨日妻は、僕を罵った
  • 若い頃は優しかった夫/妻
  • 昔は夜が明けるまで会話を楽しんだ
  • 浮気された、精神的に傷つけられた

このような記憶は、私たちの気分を害しませんか?

このような記憶をいつまでも覚えていると、
夫婦関係はどのようになりますか?

このような記憶を介して相手に接していると、
夫婦関係はどのようになりますか?


記憶という色眼鏡をかけて相手を見る


記憶というフィルターを通して相手を見ていたら、
刻々と変化する相手の表情や感情に、
付いていくことができません。

なぜならフィルターを通してみている観察は、
写真のように固定されたものだからです。

シャッターを切った後も、
相手の表情や気持ちは刻々と変わっているのに、
あなたは相手の写真と向き合っています。

記憶を通して見るとは、こういうことです。

あなたは、実際の相手と接していません。

記憶が作り上げた相手のイメージと、
あなたは接しています。

現在を過去というレンズを通して見るかぎり、
現在の相手との間に必ずズレが生じます。

つまりイメージを通して相手を見ているかぎり、
衝突は避けられません。

イメージが夫婦の間に衝突をもたらすのです。

この溝が深まるとあなたは離婚し、
ほどなく新しい相手を見つけますが、
その人のイメージをまた築き始めるので、
新しい相手とも上手くいかなくなります。

衝突するのは相手があなたの運命の、
人じゃないからではありません。

あなたも相手もお互いに相手のイメージを築き、
そのイメージと接しているから、
衝突し埋められない溝ができるのです。


あなたはイメージと接している


あなたは相手のイメージと接していて、
実際の旦那さんを見ていないのにも関わらず、
「夫の性格は一生変わらない」
「退屈な人だけど上手く付き合っていくしかないわ」
などと身勝手なことを言います。

このように相手を理解していると思い込んでいるとき、
あなたは相手に十分な注意を払ることができません。

新しいオモチャを手にした子供の顔を、想像してください。

子供の全エネルギーが、新しいオモチャに注がれますが、
古いオモチャには、そのような関心は向けられません。

なぜならその子は古いオモチャのことを、
十分すぎるほど知っているからです。

十分過ぎるほど知っているものに、
私たちは全エネルギーを注くことなんてできません。
それが旦那でも奥さんでも子供でも!


あなたが理解しているのは相手じゃない


理解していると思い込んでいる相手に、
私たちは十分な注意を払えません。

自分が既によく知っていると思っているものを、
注意深く観察することはできません。

しかし....

相手を知っていると思っていることが、間違いなのです。

勘違い、錯覚です。

私たちが理解しているのは、相手ではありません。

私たちが理解しているのは、
自分が築き上げた相手のイメージだけなのです。


固定されたものしか知ることはできない


私たちはオモチャや機械のように、
静止したものしか知ることはできません。

日々刻々と変化するものを知ることなどできません。

まずはこのことに気づかなければなりません。
これを事実として、認識しなければなりません。

すると相手に対する接し方が変わります。

あなたは初めて出会ったかのように、相手に注意を払います。

なぜならあなたは、相手を知らないからです。

過去の相手のことは知っていますが、
今、目の前にいる相手について、
あなたは何一つ知らないからです。

知らないものには、自然と興味が湧きます。

その時「以前は優しかったのに」などと言いません。

なぜなら目の前の相手は過去の相手ではないことを、
あなたは十分、理解しているからです。

刻々と変わりゆく存在を前にして過去を持ち出すことは、
過去の写真と今現在の相手を見比べて、
何で違うんだ!と責め立てるようなものなのです。


ここまでのまとめ


  • 頭を空っぽにして問題を検証する
  • 実際の夫婦関係を調べる
  • イメージをもてば実際の相手との間にズレが生じる→不和
  • 過去〈記憶〉で現在〈いま〉の対応は不可
  • 静止しているもの・死物・過去しか【知る】ことはできない
  • 生きているものを【知る】ことはできない
  • 生き物は絶えず変化するので刻々の観察が必要
  • 写真と動画は違うように、イメージと実際の相手は違う


イメージは関係を破壊する


記憶やイメージが分離をもたらすという事実を見ること、
心理的記憶やイメージの危険を理解することは大切です。

この危険を本当に見るなら、
あなたは記憶の蓄積やイメージ作りを止めます。

あなたがイメージを現在に持ち込みそうなとき、
過去の相手の言動を現在に持ち込みそうなときには、
黄信号に気づいて、自然にそこから離れます。

危険な場所には敢えて近づかないように、
記憶の蓄積やイメージ作りの危険を、
理解したあなたはそこから即座に離れます。





人を知ることはできない


相手を知ることはできないと気づいたあなたには、
情熱が蘇ります。

相手はあなたが慣れ親しんだ、古いオモチャではありません。

刻々と変化する相手に、
あなたは必死で付いて行かなければなりません。

あなたは相手に全注意を注ぎます。

相手に全注意が向かうので、
あなたは相手の新たな一面を発見することができます。

あなたの精神は、俊敏で繊細で目覚めています。


俊敏な目覚めた精神


記憶やイメージに頼りきりだった精神は、
長い間、眠っていても平気でした。

鈍いままで問題はありませんでした。
相手に十分に気づいている必要がなかったからです。

記憶・イメージというマニュアルがあったので、
それに従ってさえいればよかったからです。

しかし記憶やイメージが人間関係をダメにしている、
ことに気づいた精神は、一気に眠りから覚めます☆

このような精神だけが、新しいものを発見することができます。

「知らない」ことを知っている精神が、
 新たなるものを発見することができるのです。

この精神はあらゆるものに敏感だからです。

このようにイメージや記憶に頼らない、
機敏な精神だけが真の交わりをもつことができます。


気づきは自由をもたらす


イメージに頼ることなく瞬間瞬間に気づいているとき、
私たちはイメージ作りからも、記憶の蓄積からも自由です。

注意散漫な精神だけが記憶し、イメージを作り上げます。

あなたが全的に気づいているときには、
全エネルギーが注がれるので、
記憶を蓄積したりイメージを作る隙がありません。

そうはいっても相手といる間にずーっと、
気づいていることは不可能です。

しかし....

記憶の蓄積・イメージ作りの危険を見たあなたは、
注意が逸れても逸れたことに気づくことができます。

相手の話を聞いているとき、
話を聞いていない自分に気づくことはできます。

そして注意が逸れたことに気づいている精神は、
それはもう注意散漫な精神ではありません。

逸れたことに気づいているので、その精神は目覚めています。

だから「全注意を払おう」と意気込まなくていいのです。

目の前の相手に注意を払い、
注意が逸れたらそのことに気づいていれば良いのです。

なぜ気づきについてここまでしつこく話すかと言うと・・・

精神が十分に目覚めているときには、
記憶の蓄積やイメージ作りは起こらないからです。

つまり真の関係が築けます。


まとめ


  • 相手のイメージを持つ限り、相手との間に不和が生じる
  • 「実際の相手」と「自分の作りあげたイメージ」にはズレがある
  • 過去というものさしでは現在を理解できない
  • 静止しているもの、死物しか【知る】ことはできない
  • 生きているものを【知る】ことはできない
  • 生きているものには刻々の観察が必要
  • イメージ作りの危険性を見る
  • 記憶を蓄積することの危険を見る
  • 記憶・イメージが関係に分離・衝突を生む
  • 記憶・イメージに頼らない精神は俊敏
  • 俊敏な精神は相手に全注意を払うことができる
  • すると毎回新たな発見がある
  • 夫婦関係だけでなくあらゆる関係が新鮮になる
  • 記憶・イメージなしの関わりが真の関わり


記憶とイメージ作りの危険を洞察すると..


良い夫婦関係を築くためにイメージを持たない、
というだけでは不十分です。

夫婦間においては、記憶やイメージを持ち込まないことにしよう!

ここまで読まれた方がそのように思っているなら、
記憶を蓄積すること、イメージを築くことの危険性を、
十分に理解していません。

というのは記憶・イメージの危険を本当に見るとき、
それはあらゆる領域に及ぶからです。

夫婦関係だけでなくあらゆる関係に、洞察は作用します。

あらゆる関係においてイメージを持つこと、
心理的記憶を保持することを止めます。

心理的記憶の蓄積とイメージ作りの危険性を本当に見るなら、
あなたは他者に対してイメージを築くことを止めます。


誰かの誹謗中傷やお世辞や賞賛を記憶することの危険も、
はっきりと見て取ります。

そうすると全ての心理的記憶の蓄積とイメージ作りは、
終わりを迎えます。

このときのみ真の交わりが生まれます。

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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