沢山の傷を負っている私たち
私たちは幼い頃から沢山の傷を負っています。
両親からは「これをしなさい、あれはダメ」と諭され
叱られることに傷ついてきました。
学校では小・中・高・大学を通し試験や先生によって
他の生徒と比較されて傷ついてきました。
大人になってもまた夫や妻・子供の言葉に
傷ついています。
自分が傷つかないよう世論を気にし、
人の目を気にして生きています。
他者の言葉やふるまいに傷つき、
私たちは人生を通して傷を負っています。
傷つかず生きることはできるのか?
傷つかずに生きることはできないのでしょうか?
まずは傷ついていることに、
あなた自身が気づいてますか?
またあなたが傷ついたと言うとき、
実際には何が傷ついているのでしょう?
レ自分だけランチに誘われなかった
レ同僚が自分より先に出世した
レ「年とったね」「年齢より老けて見えるね」と言われた
この時、実際に何が傷つくのでしょうか?
あなたの作り出したイメージが傷つくのではないですか?
セルフイメージをもつとあなたは必ず傷つく
私たちはセルフイメージを持っています。
同僚に先を越されたとき、
「仕事ができる私」という自己イメージが
傷つくのではありませんか?
自分だけランチに誘われなかったことに傷つくのは、
「友達に好かれている私」「信頼されている私」
というセルフイメージをもっているから
あなたは傷つくのではないですか?
「老けたね」と言われて傷つくのは
「いつまでも若々しい自分」いう自己イメージが
傷つくのではないでしょうか?
「私は腕の良い弁護士だ、偉大だ、頭がキレる、美人だ」
あなたがこのように自分のことを思っているかぎり、
誰かに逆のことを言われると傷つきます。
傷つくのは、あなたが築き上げたイメージです。
あなたの負った傷があなたを孤独にする
傷つくと、自分の周りに壁を築きます。
今以上に傷つかないよう、
もう誰からも傷つけられないように、
あなたは他者との間に厚い壁を築きます。
こうして築いた壁が、あなたを一掃孤立させます。
孤立した結果、あなたは孤独を感じます。
孤立した結果、あなたは誰とも関係を築くことが
できなくなります。
肉体的には、誰かと親密な関係をもつかもしれません。
しかし真の関係は、壁があるかぎり不可能です。
こうしてあなたは傷つけば傷つくほど孤立して、
誰とも深い関係を築くことができなくなるのす。
なぜセルフイメージを築くのか?
ではなぜイメージを築き上げるのでしょうか?
- 「私は○○の社長だから力を持ってるぞ」
- 「私は汚れのない心をもった敬虔な聖者だ」
- 「私は有名大学出身だから賢い」
ご覧下さい!これが社会が築いた原則です。
私たちは社会が築いた原則、肩書きを手に入れることで
安心します。
私たちは安心を求めてセルフイメージを築くのです。
安心感を手に入れるために、
社会の中でより快適に生きるために私たちは、
セルフイメージを築きあげるわけですが、
このイメージが皮肉なことに他者と深く交わるのを
不可能にするのです。
関連記事:安心願望がイメージを作り出す
セルフイメージをもたずに生きる
自己イメージをもたずに生きることはできるのか、
できないのか、一緒に調べていきましょう。
野心や努力、成功を賞賛する残酷な競争世界において、
私たちがセルフイメージを持たずに生きることは
可能でしょうか?
他人に無関心な冷たい世の中で自己イメージを持たず、
また傷つくことなく生きることは可能でしょうか?
自己イメージを持てば、あなたは傷つきます。
セルフイメージをもつかぎり誰かが意図的にか無意識に
そのイメージを粉砕するのであなたは必ず傷つきます。
イメージを持たないとは、
何者にもなりゆこうとしないで生きることです。
あなたの職業が何であれ
エンジニア・弁護士・医者・販売員 etcとして
誠実に仕事をしながら精神的には
何かになろうとしないで生きることです!
関連記事:心理的になりゆく時間は存在するのか?
なりゆくよう条件付けられている私たち
何者かにならなければいけないかのように、
私たちは条件付けられています。
物理的になりゆくプロセス
- 子供から大人へ成長する様子
- 勉強すれば問題がスラスラ解けるようになった経験
- 鍛えると肉体がたくましくなる様子
- 努力してできることが増えた経験
- 科学技術の発展
- 見習いから熟練の大工へ
- 契約社員から社員へ
- 事務員から係長、部長へ
- インターンから弁護士へ
- 成功者になる、有名になる
↓
精神的になりゆくプロセス
- いつか怒りを抑制できるようになる
- 優しい人間になりたい」
- 立派な人間になるよう努力する!
- 真理に到達し聖者になる
- 愛される人間になりたい
このようになりゆくことが可能な物理的プロセスが
内面に適用され、脳は長い年月を通して
何かになるために行動するように、
私たちは条件づけられてきました。
セルフイメージの虚偽を見て手放そう
このように私たちは物理的のみならず、
精神的にも何かになろうと日々励んでいます。
何かになろうとしているかぎり、
そこには必ず概念が存在します。
何かになろうとするかぎり、
そこには必ず葛藤があります。
こうなるぞ!という理想像やゴールが存在します。
自分の作り上げたイメージを持っているかぎり、
私たちは他者の言葉に傷ついてしまいます。
ここまで読まれたあなたは自己イメージが何をもたらすか、
理解されましたか?
あなたは自己イメージという荷物を降ろしましたか?
まだ降ろしてないのであれば、あなたは必ず傷つきます。
他者との間に壁を築いて孤立します。
そうして孤立感は恐怖を生み、
恐怖のあるところ決して愛は花開きません。
しかしセルフイメージの虚偽をみてイメージを手放すなら、
あなたは傷つかずに生きることができるのです。
他者から孤立せずに生きることができるのです。
結局はセルフイメージという厄介な重たい荷物を
降ろすも降ろさないのもあなた次第なのです。
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