「なぜ苦しみ続けるのか」を理解して苦しみから自由になろう

2019/05/27

愛 真理 自由 秩序 気づき 観察

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「こうあるべき」だと確信をもって物事を見ているかぎり
正しく観察することはできません

物事をありのままに歪みなく見つめるためには
人はまず自由でなければなりません

自由とは色眼鏡をかけて見ないということです

あなたの持っている色んな眼鏡を手放さなければ
人も物も正確に見ることはできません

※『色眼鏡を外してありのままに見る


自由とはどういうこと?


自由であるとはいかなる信念・偏見・経験・意見も
持たないことです

あなたと話をしているときに
私が信念や偏見、経験や意見をもっていると
あなたを正しく観察することも理解することも
できません

意見や経験の色に染まった観察は歪んだ観察です

このような歪んだ観察をしていては
あなたを理解することはできないのです

このことを本当に理解すると
起こった出来事や他者の言動、自分の感情を
経験や意見を挟まずに観察するようになります

このときようやく真実を捉えることができます

※『正しさがわからないのは事実を見つめてないから

結論に達するとどうなる?


結論に達すると人は自らの苦しみを
見つめることはできなくなります

「真実は悟った人しかわからない」
「苦しみは避けられない」

あなたがこう思っているとします

このときあなたは苦しみ原因を調べることはありません

「自分にはできない」「苦しみは誰もが感じるもの」
 だとあなたは思ってしまっているからです

結論に至っているあなたが苦しみを見つめたところで
その観察は結論に歪められるので苦しみの本質を
掴むことはできません

苦しみは誰もが味わうものだと思っている人が
自らの苦しみと向き合うことはないし
それから自由になれるかどうかを
調べたりしないからです

※『結論は探究心を殺す

彼らは苦しみと向き合うかわりに
それから必死に逃れようとします

しばしの間、苦しみを忘れさせて
くれるものに逃避するのです

逃げる場所はたくさんあります

アルコール・TV・音楽・読書・おしゃべり etc....

ネットで人と繋がることかもしれないし
友達と遊ぶことだったり、趣味に
没頭することかもしれません

※『単調な毎日にサヨナラすると娯楽に逃避しなくなる

逃げたら苦しみから自由にはなれない


逃避している間、人は苦しみから自由になれます

しかしそれはすぐに舞い戻ってきます

苦しむ→映画鑑賞に逃げる→苦しむ→暴飲暴食する...



この繰り返しを人は懲りずにやっています

苦しみを感じてはそれを忘れさせてくれる
ものに逃避するのです



ボタンを押すとご褒美がもらえることを覚えた
実験用マウスがボタンをひたすら押し続けるように
人は苦しみを感じるや否や、逃避ボタンを押して
直視したくない感情から逃れているのです

このような自動反射的な行為は
「苦しみを解決できない」という思い込みが原因です

私たちが達した結論が私たちを神経症的に
行動させているのです

※『神経症的行動とは



つまり信念や結論が行動を決定しているのです

思い込みが私たちの行動を決定しているのです

「苦しみから逃れられない」という思い込みが
苦しみを忘れさせてくれるものへとあなたを
逃避させるのです

しかしこんなことを繰り返していては
苦しみから自由になれません

感情から自由になるには?


自らの感情を批判したり正当化したり
何かに逃避しているあいだは
あるがままの感情を見つめられません

感情を精確に観察できなければ
それを理解することはできません

だから感情としっかり向き合いましょう

自分の考えや過去の経験から対処するのではなく
初めて出会うかのように感情を観察してください

というのは....

観念・結論・意見・偏見・経験を脇に置いて
それから自由になって観察するとき
はじめて感情を歪みなく見ることができるからです

※『事実を観察する鋭敏な精神
 『あるがままを見つめるにはイメージを手放す必要がある



何にも染められてない純粋な目で観察するとき
人は感情の正体を暴くことができます

自分の感情を丁寧に注意深く見つめるとき
感情の正体である「わたし」は消滅します

精確な観察が感情の正体を明らかにし
それは観察の光に照らされて感情共々霧散します

このようにしてあらゆる感情から自由になります

 (感情がどのように消えてなくなるかについては
  過去の記事で詳しく触れています↓)

過去の記事 感情からの自由
      感情を注視・観察する
      苦しみの終焉は自己の終焉
      嫉妬を焼き尽くす観察の炎

正しい観察


頭の中のがらくたを片づけなければ
正しく観察することはできません

単なる記憶の寄せ集めで
刻々と変わりゆく自分を観察することも
理解することもできません

過去を手放さずして「いま」に出会うことはできません

自分についての知識を手放さずして
今の自分を理解することなどできないのです

※『観念を手放さないと今に生きられない



「いま」に出会うには
過去から自由でなければなりません

過去でいっぱいのあなたが現在を掴もうとしても
~それは目の前の相手を理解することであるし
 自分自身を理解すること、物事を理解すること~
刻々と変化する「いま」を理解することはできません

生きているものを理解するには
生きた目で観察しなければなりません

瞬間瞬間変わりゆくものを理解するには
記憶に染まった目ではなく
素直で純粋な目で観察しなければなりません

死物である記憶で、生を理解することはできないのです

※『今に生きるってどういうこと?
 『刻々と変化する生とパターン化された心

歪みなく観察するには


既存宗教から自由でなければなりません

宗教の権威だけでなくどんな形の権威も
専門家の意見も退けなければなりません

目に映るものを精確に観察するには
意見・信念・経験・思想・結論...
これら全てから自由でなければなりません

自由とはこのようにありのままの現実を
あなた自身の目で見ることであり
そのように見ることが自由なのです

あなたがこのように自由なとき
物や人、そしてあなた自身を
曇りなく見ることができます

だから一切の過去を落としましょう

過去から自由でなければ歪みなく見ることはできません

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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