終わらせなければならない戦争は内部の戦争

2019/03/26

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最近ヘイト発言や差別的発言が問題になっていますが、
これらの発言の発端は一体何でしょう?

「私」と「あなた」、「日本人の私」と「韓国人の彼」、
「日本」と「韓国」、「日本」と「アメリカ」という
 思考が生みだした分離が原因ではありませんか?

私たちはいまだに地理的な分離でしかないはずの同じ人類を、
日本人だとか韓国人だとかいう次元でしか考えられず
お互いを批判し合っています。

そうです、私たちは二千年前と全く変わっていません。





野蛮で攻撃的・暴力的な私たち



私たちの見た目がどんなに洗練されていようと、
内部は原始的で暴力的で攻撃的で野蛮なままです!


多くの人が持っている国民意識は、
部族意識が名前を変えただけであり
それを未だに大事に持ち続けていることこそが、
私たちが野蛮であることを物語っています。



ソーシャルメディアでも同じように、
あいつは在日だからああいう発言をするとか
敵国をかばうなんて非国民だなどと
常に私たちは対立し意見を闘わせています。

テレビではほんこんさんが、
「反日が国策となっている国となぜ日本政府は
 向き合わないといけないのか!北朝鮮も韓国も敵国」
と発言されたことには驚きましたがネット上では、
多くの人が彼を支持しているという事実こそ、
私たちが何千年もの間条件づけられている
思考パターンや反応から抜け出せていない証拠でしょう。


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歴史(悲しみ・苦しみ)は繰り返される



私たちが条件付けから自由にならなければ、
歴史はこれからも繰り返されます。

私たちが目を向けなければならないのは
本当に終わらせなければならないのは、
世の中の争いや出来事ではなく、
私たち一人一人の暴力性・攻撃性であり条件づけです。

早急に終わらせなければならない戦争は、
私たちの内部の争い(葛藤・混乱・矛盾)です。



私たちは条件づけられた思考の枠内を
グルグルと回っているので自由に考えているように
錯覚していますが、壊れたレコードのように
同じ曲を何度も何度も繰り返しているのです。

憎しみには憎しみで怒りには怒りで暴力には暴力で
応えるかぎり、私たちの内部の暴力性も、
外側の争いもなくなることはありません。

繰り返される音楽を終わらせなければ、
パターンを破らなければ、
世界に平和が訪れることはありません。


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世界の出来事と日常生活は関係している



世の中の出来事と日常の行動を切り離して
考えることはできすか?

それとも両者間に分離はなく、
潮の満ち引きのように一連の動きでしょうか? 

波のように私たちの日々の行動と世の中の出来事は
一連の動きではないですか? 

内から外へ、外から内へと流れゆく、
一つの流れではないでしょうか?

両者を切り離して考えることはできません。

政治や経済には口を出すが自分の行動は顧みない、
というように両者を都合良く切り離して、
考えることはできません。

私たち一人一人の他者との関係、自然や動物との関係が
形となって現れたものが社会の出来事なのですから....

つまり私たちは日々の行動に、
責任をもたなければなりません。





自分の反応を観察しよう>



  • 争いの元が内部に根付いていないか? 
  • 他者と対立していないか? 
  • 誰かを故意に傷つけていないか?
  • 嫉妬や憎しみを抱いていないか?
  • 誰かと競ったり争っていないか?
  • 自然や動物と関わりがあるか?
  • 心の動きや行動に注意を払っているか?

私たちは普段の自分の言動に、
注意を払わなければなりません。

そうでなければ人間関係の上に成り立っている
社会が変わることはありません。





自己理解が変容を可能にする



「あなた」と「わたし」が根源的に変わらないかぎり、
世の中は変わることはありません。


根源的に変容するには、
自らの条件付けに気づかなければなりません。

自分のことを理解しなければなりません。

そうでなければ私たちはずっと歴史を繰り返すだけ、
過去を繰り返すだけの無力で惨めな存在であり、
人類の苦しみや悲しみを終わらせるどころか
もたらし続けることになります。





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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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