映画「コーヒーが冷めないうちに」から学ぶ
先日ネットで「コーヒーが冷めないうちに」という
有村架純さん主演の映画を観ました
内容は望んだ時間に戻れるというもの
有村架純さんが演じる主人公の女性がコーヒーを入れると
コーヒーが冷めるまでの間だけ過去に戻ってやり直せる、
だけど現実がそれによって変わることはない、
ざっくりですがこんな感じのものでした
吉田羊さん演じるカフェの常連客の女性が
ずっと疎遠になっていた妹を突然事故でなくします
妹に頑なに会うことを拒んできたことへの後悔と
妹を失った悲しみで涙を流すシーンがありました
彼女は陽気で湿っぽい雰囲気が苦手な、
さっぱりとした性格の女性でした
そんな彼女が家に帰って1人になり
妹の死の悲しみをこらえ必死に泣くまいと
我慢しながらそれでも泣いてしまうというシーンでした
私は彼女の表情に私たち人間の混乱を見た気がしました
というのはその顔には悲しいのに笑おう、
涙が出そうなのに必死にこらえるという
感情と感情のぶつかり合い~ぶつかり
合うということは内面がバラバラに
分裂しているということ~が見てとれたからです
※『自己矛盾の解決:葛藤を理解する』
泣くことを我慢するよう条件付けられていない?
「泣くなんて自分らしくない、湿っぽいのは好みじゃないわ」
という自己イメージを役のなかの彼女は持っていたので
ひとりになり妹の死を悲しむときでさえ、
涙を必死にこらえようとしていました
幼い頃から「男は泣くもんじゃない」とか
「泣くことは弱いことだ」とか言われて
育つと私たちは反射的に泣くのを我慢するようになります
特にアジアでは「感情をコントロールできないのは弱い人間」
「感情を表に出すことは良くない」と言われて育つので
殆どの人が涙は堪えるものだと無意識に条件づけられています
悲しくて辛いときでも「泣いちゃダメ、強くなれ自分!」
と叱咤する、あるがままの感情とは逆の思考の声に
従う人は結構いますし、自分が条件づけられているので
友達が泣いているときに「強くなりなよ」と
励ましているつもり言う人がいます
彼らはあるがままの感情に抗うことにより
葛藤や苦しみが生まれることを知らないから
友達の悲しみを強化してしまうような
危険なアドバイスをしてしまいます
こういったこと全てが私たちの内面がバラバラで
混乱している証拠なのです
※『条件付け・思い込み』
『混乱している私・断片的な私』
思考で感情を抑えようとする混乱した私たち
身体の反応ではなく頭の声~長い間条件づけられて
きた思考の声~に従って私たちは生きています
彼女の表情がこのことを見事に物語っていました
悲しみという感情を理性で抑え込もうとするその表情は
多重人格者の1つの性格がもう1つの性格を批判して
抑え込むときのようにいくつもの感情が入り混じり
まるでピカソの絵のように、私たち人間が
いかに混乱した生き物であるかを描写していました
※『感情はコントロールできないもの』
『断片的な思考が自らを統合しようと試みる』
分離・分裂は葛藤・混乱をもたらす
分裂のあるところ、必ず葛藤が生まれます
心がバラバラだと断片同士がぶつかって人は苦しむのです
心にまとまりがないのは
条件づけられた思考のせいなので
思考の正体をよく理解して手放しましょう
分裂の原因である思考を一掃しないかぎり
私たちは一つの統合した生き物としてではなく
バラバラに分裂した生き物として生きることになるのです
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