議員がフェイスブックなどに、
獣肉の塊がぶら下がった前で包丁を持ったり、
鹿の革製の蝶ネクタイを身に着けたり
白目をむいて映った自身の写真を掲載して
ネット上で炎上していたようです。
筆者はこの報道を知った時、
何とも言えない気持ちになりました。
断片的で無秩序な私たち
私たちはどうしてこんなにも断片的なのでしょうか?
私たちの内部はどうしてこんなにも
バラバラで矛盾だらけなのでしょう?
「命を軽視する行為だ、命を何だと思っているんだ」
と意見している人たちは、自らの食の楽しみのために
動物の命を犠牲にしてはいないのでしょうか?
動物たちは私たちの食の道具として、
生まれてきているのでしょうか?
「いただきます」と感謝して食すなら、
私たちは動物の命を大切にしていることになりますか?
これこそ自分の行為を正当化する、欺瞞ではありませんか?
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他者を批判するかわりに内面を観察しよう
この議員の言動はたしかに道徳性が欠如していますが、
彼の行為に対する自分たちの反応を、
きちんと観察すべきです。
この記事を読んであなたが「ひどい」と感じたのであれば、
その行為の非道徳性を理解したのであれば、
あなたの内に同じものが巣くっていないか、
調べてみる必要があるのではないですか?
議員の行為を残酷だと感じたのだとしたら、
普段肉や魚を食べる自分自身の行為に対しても、
あなたは心の奥底では残酷だと、
感じているのかもしれません。
あなたが毎日食べている肉や魚は、どこからくるのですか?
あなた自身は殺していないので、
議員の行為とは異なりますか?
私たちの内面はカオス状態です。
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内面の残酷さ・野蛮性・暴力性を見つめる
議員を批判はしても動物の命を奪っている自分の行為の
野蛮性・暴力性を見つめることがないので、
私たちは相変わらず自分の残酷さには鈍感で、
野蛮で暴力的で残忍なのです。
あらゆる出来事における自分の反応に注意を払わないかぎり、
私たちは歪んだものの見方しかできません。
そしてその歪んだ見方を、
私たちは固く信じて疑いません。
自らの思考や反応(リアクション)に注意を払い、
どうしてそのように反応し、
どうしてそのように批判するのかを問いたださないかぎり、
私たちに変容や洞察は起こりません。
自己観察を行わないあなたは、
不完全な思考を頼りに善悪を判断し、
決して間違えることのない裁判官にでもなったかのように
他者を批判し誹謗中傷しますが、
その鋭い刃を自らの内部に向けることは決してありませんので、
あなたはいつまでも変わることはありません。
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