ブログを読んでくれた友達の感想です。

「言いたいことはわからなくないけど言う程単純じゃないし、
 納得する箇所はあってもだから?って感じ」
と感想を述べてくれました。

しかし読んだ感想よりも、
実践した後の感想が欲しいなあと思いましたw




結論に至る精神は鈍感です



実践する前に単純・複雑と分類すると、
実践を通して未知なるものに気づけなくなります。

答えを出した瞬間に結論に至ってしまうので、
新たなものを見出すことができなくなります。

山登りをしていて「もう歩けない」と思った瞬間、
力が抜けてしまって登るのを止めたくなりませんか? 

結論に至った瞬間精神は安心してしまい、
理解するのに必要な注意力や機敏さは
どこかへ行ってしまうのです。




思考を理解するとどうなる?



どうして単純だという結論に至るのでしょうか?

内部が混乱していることをあなたが理解するなら....

思考がまず最初にあなたを感情から切り離し、
切り離されたあなたが感情を抑制したり超越しようとしていること、
自分の尻尾を追いかける犬のような愚かな行為を、
これまで疑問を抱かずやってきたことを
あなたが本当に理解するなら....

自分の恐れや安心願望から、
自らが作り上げた概念を拝み希求しモスクや寺院で祈るという
愚かな行為をあなたがはっきりと見るならば、
あなたは何らかの結論に至るでしょうか? 

それとも......

とてつもない発見をした精神は一気に眠りから覚め、
機敏で繊細になりますか?

私たちは怒りの感情は良くないから抑えなさい、
努力して良い人間になりなさい、
と言われて育ってきました。

お手本になる人を見習い、そうなるべく努力してきました。

これは全て教育・社会・両親が、
私たちに期待し求めてきたことです。

教育・社会・全ての流れが、
感情とあなたは別だと教えてきたのです。




脳の条件付けに気づく



感情は意志の力で抑制できると、私たちは教えられました。

努力したら優しくなれる! 怒りを抑えることができると....

あなたは今もこのように信じていませんか?

どうか正直になって自分自身に問うてください。

様々な感情があなたの内部で対立しているのだとしたら、
何らかの葛藤があるのだとしたら、
あなたの内部は分裂し混乱している証拠です。

私たちの脳は長い年月をかけて、
感情を抑制できると条件づけられており、
この条件付けが私たちの内部に分離を生み出したのです。

分離は必然的に葛藤をもたらすので私たちは、
葛藤や苦しみは生の一部だと思い込んでしまったのです。

幾千年にわたり脳はこのように条件づけられ、
私たちは伝統や教えを受け入れてきたのです。

これらの条件付けをすべて問うてみないかぎり、
私たちが葛藤や苦しみ、争いから
解放されることはありません

歴史を見れば一目瞭然です。

ですからあなたが抱えている荷物を全部ほどいて、
中身を観察しましょう。

条件付けられていることを認識しなければ、
私たちはこれまでにしてきたように、
葛藤し嫉妬し恐れ、悲しみや憎しみの人生を
送ることになるのです。




条件付けから自由になる鍵は気づき



脳の条件付けに気づいた瞬間、
あなたは条件付けから自由になります。

思考という牢獄にいると気づいた瞬間、
あなたは思考を疑い始めます。 

脳が一定のパターン内で機能していたことに気づくと、
あなたは自分の思考に注意を払うようになります。

思考に疑問を抱き始めると、
あなたはこれまでのように思考や感情に、
引っぱられることはなくなります。

このように機敏で瞬発力のある脳が、
物事の真偽を瞬時に見極めるのです。



これは非常にシンプルではありますが、
簡単ではありません。

全エネルギーで思考を注視しなければなりません。




情熱と忍耐力 



絶対に理解するのだという情熱と忍耐力が、
あなたにありますか?

葛藤・悲しみ・苦しみからの自由への情熱がなければ、
あなた自身の反応や思考を理解することはできません。

あなたに燃えるような情熱がありますか? 

これが問題です。

殆どの人は毎日仕事に行くエネルギーを持っていますが、
それと同じくらいのエネルギーを、
内部を掘り下げることに注ぐことができますか?

エネルギーを探究に注ぐことができないなら、
あなたが脳の条件付けを理解することも、
条件付けの危険を見ることもできません。

『誰かが発見して教えてくれればいい』と思っているなら、
あなたは思考という録音機から、
決して自由になることはありません。

「今のままで満足だ」と言うなら、
それはあなたの自由なのです。




生に対する溢れる情熱で探究する



苦しみや悲しみでいっぱいの人生を受け入れるかわりに、
あなたはこのように問うことができます。

自由な生とはどのようなものか?
自由な生を自分は生きることができるのか?

悲しみや苦しみは避けられないものとして、
これまで受け入れてきたけど、
悲しみや苦しみ、葛藤や嫉妬から自由な生を、
わたしは生きることはできるのか?

知りたい!調べてみたい!

あなたがこのように強く思うなら、
オリンピック選手がメダルにかける情熱と同じくらいの情熱で
あなたの内部に飛び込んで徹底的に調べてみなければなりません。





関連記事
変容は瞬時に起こる
生き方を問う・疑う・調べる
結論は探究心・好奇心を殺す
脳の条件付けに気付かなければ..
努力・葛藤・抑制のない自由な生.
脳の条件付けから瞬時に自由になる
脳の刷り込みに気づくと自由になる
自由に生きる:思考・過去・自己からの自由
内部に二元性は存在せずあるのはありのままの自分だけ

このブログを検索

アーカイブ

自己紹介

自分の写真
真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ