人が宗教を求める理由、信仰する理由

2019/10/26

苦しみ 悲しみ 神 真我 魂 動機 欲望 願望 比較 分離

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今回は質問者さまとのやりとりを紹介したいと思います。


質問:宗教はなぜ戦争の元になるのに、
   人は宗教にすがるのでしょうか?


       ==============


私たちが苦しみや悲しみから自由にならない限り、
「信仰を通して苦しみ・悲しみから自由になれるよ」と囁く
既存宗教は存在し続けるのではないでしょうか?

私たちが願望をもつ限り、
単調な日常から非日常の世界へと逃避できる
避難所(既存の宗教)はこれからも存在し続ける
のではないでしょうか?


私たちが自らの願望と、依存するものの正体をしっかりと見て
それを手放さないかぎりは.......





質問:すべての苦しみは肉体に
閉じ込められているからでしょうか?



       ==============


飢餓などの身体的な苦しみ以外の苦しみは、
肉体を持っていても自我の終焉によって
終わるのではないでしょうか?

私たちが一体化しているものを手放すとき、
精神的な苦しみ・悲しみはもはや存在することはできません。





質問:身体が無くなれば飢えもしないと感じます。
   餓鬼=仏教での考え方



       ==============


誤解を生む表現をしてしまったかもしれませんが、
自我の終焉とは身体の終焉のことではありません。

私たちが一体化しているもの、
思考、恋人、家族、財産、誇り、名声、経歴、車、家 ....
こういったものへの執着を手放すとき、
精神的な苦しみ・悲しみは消滅します。


質問者さまが仰るように身体がなくなれば飢えもしませんが、
肉体が悪なわけではなく、自我・エゴ・思考がまさに苦しみや
願望の根源なので、肉体を呪うのではなくて
自己を手放すことさえできれば
既存の宗教は存在し得ないと申し上げたかったのです。





質問:しかしそれらのことを手放したとしたら、
   死しかイメージできないのです。



       ==============


まさにその通りです。

しかしここでいう死は、肉体の死ではありません。

私たちが精神的にすべてに対して死ぬとき、
つまり憎しみ・嫉妬といったあらゆる感情を溜め込まず
所有するものに対して依存・執着せず、
精神的に人に執着・依存しないで生きるとき、
私たちはまさに精神的に死にながら生きているのです


肉体の死は機械と同じで機能しなくなれば
動かなくなるだけですが
私たちが本当に恐れているのはこれではありません。

生きている間に積み上げた
名声・お金・経歴・成功・恋人・家族から
強制的に引き離されることを恐れているのです。


いつの日にか突然やってくる〈強制終了〉を恐れているのです。

ですからこれらのものを毎日捨てながら生きることができたら、
あなたにとって死は恐れるものではなくなります。

なぜならあなたは一日一日蓄積したものに対する
執着を捨てて生きているので、
死を毎日体験しているようなものだからです。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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