A 境地が上がるほど肉食から段々と菜食になると
  たしかシルバーバーチは言ってました

  肉が好きな私はまだまだ低い境地を
  彷徨っているということになりますか?

私 シルバーバーチについてあまり知らないので
  彼について言及することは控えますが
  菜食者の精神が優れているというような
  単純なことでもないようですが彼の言葉には
  真実も含まれているように思います

  菜食の人が高い境地にいるということではありませんが
  愛や優しさに溢れた人に動物肉を食べる人はいない
  というのが真実であるようです

  過去の記事でも紹介しましたが
  チキンを食べながら歩いている人に暴言を浴びせた
  ヴィーガンがいましたので全てのヴィーガンが
  高い境地にいるわけではないことは明らかです

  なので菜食の人には愛ある人と愛のない人がいますが
  愛のある人に菜食ではない人はいないというのが
  真実ではないかなと思います

  なぜなら…

  愛や優しさというのは包括的なものであり
  本当に優しい人ならその人の優しさは
  人間にとどまらず動物や植物に行き渡るはずだから!

  他の命がどのように扱われているかを知ると
  ~その事実を巧妙な思考で覆い隠さず直視すると~
  自分が口にするものに注意を払わずにはいられなくなります

   ※優しさについて



A 菜食になると栄養学的に死に至る、栄養失調になる
  と言う人もいます

私 そうですね。でもそのように主張する人は
  彼ら自身で菜食を長い間実践して確かめたのでしょうか?

  個人的な話をすると肉や魚を食べなくなって
  20年以上になりますがこの間病院に行ったことは
  1度もないしすこぶる健康です

  菜食であれ肉食であれ偏食をすればどんな人でも
  栄養失調になる可能性があるのではないでしょうか

  つまり栄養失調になる可能性があるのは何も
  菜食の人に限ったことではないのです



A 痩せ細ってしまうことを恐れている人もいるかと思いますが
  痩せていない菜食の人って、有名人でいますか?

私 これまで何度も優勝してきた女子テニスプレーヤーの
  セリーナ・ウィリアムズは菜食ですが彼女は決して
  ガリガリに痩せているわけではないですし
  どちらかと言うとふくよかな体型だと思います
  
  また映画『ジョーカー』で最近話題のホアキン・フェニックスは
  子供の頃からヴィーガンでジョーカー役を演じるために 
  20kg以上体重を落としたそうですが普段は
  80㌔あるそうです(身長173㌢)

  普段の彼は痩せてる方ではいないですよね?



A 偉人と呼ばれる人の中にも菜食の人は多いですよね?
  レオナルドダヴィンチとかトルストイ、プラトン
  ピタゴラスやダーウィン、ワーグナーなど....

私 そうですね、だからどうということでもないですが
  彼らが残した言葉で心に残っている言葉が
  いくつかあるので紹介しますね

  人は生きとし生けるもの全てに慈しみの心を広げるまで
  心の平安を見出すことはできない 
                〜アルバート・シュバイツァー

  君は今食事をし終わったが食肉処理場は注意深く遠くに
  うまく隠されているのだよ、だから君のやっている
  ことは共犯だ
                        〜エマーソン

  生きとし生けるものすべてを痛みつけることをやめないかぎり
  我々は野蛮であり続ける
                         〜エジソン

  動物を殺すことは人間を殺すことと同じである
  人間がこのことを認識する日がいつか来るだろう
                       〜ダ・ヴィンチ


A 命を奪って食べるという人間も含めた自然のシステムが
  不合理なように見えてきますね

B 自然と動物のことは、放っておいてあげませんか?

  私たちは動物の残虐性ではなく自分たちの残虐性に
  全責任があるのですからそれに目を向けるべきです

  動物たちは今あるようにしか生きていけませんが
  人間は違います
  
  私たち人間は動物の命を奪わなくても生きていけます

  それに動物の欲求が度を超すことはありませんが
  人間の欲求は限度を知りません

  動物は自然の法則に則って機能しますが
  人間はその利己性によって行動に秩序は失われました

  だから己の舌を満たすためなら動物の命を犠牲にしても
  仕方ないと思っているのです

  動物に対する残虐な行為に目をつぶり
  食べるという行為については自分が直接
  殺すわけではないからと己の暴力性に
  どこまでも知らん顔を決め込んでいます

  人間のこの残虐性は野生動物のそれより
  残酷ではないですか?

  あなたの質問からわかるようにあなたは本当は
  ご自身の残虐性に気づいています

  しかし自らの残虐性をどうにか正当化しようと
  自然の摂理という言葉で片付けようとされています

  ご自分の思考の巧妙さに気づいておられますか?

  私は対話の初めにこう言いました

  巧妙な思考で己の行為を正当化せずに
  普段食べているものがどのようにして
  命を奪われているかを知ると自分が口にするものに
  関心を抱かずにはいられなくなると…

  しかしあなたは自らの暴力性(事実)を巧妙な思考
  ~自然の摂理という言葉~で正当化しています
 
  事実を歪めるからあなたの暴力性は心から
  出て行かないのです

  そうではなく自らの暴力性を直視すると
  観察された暴力性は今ここで消えてなくなります


A 指摘いただいた点は深く考えてみるべきことだと思います

  屠殺場に運ばれて行くときには牛や豚も
  嗚咽するという話も聞いておりますしね..

B たしかダーヴィンは喜び、痛み、悲惨さを感じる能力においては
  人間と動物の間に違いはないと言ってました

  屠殺場で仲間が次々に首を切られていくのを目にした
  動物たちは発狂するそうです

  彼らの叫びに私たちが本当に耳を傾けるなら
  屠殺場は明日にでもこの世からなくなることでしょう

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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