動物に対する人間の残酷さを直視する

2020/04/06

気づき 観察 怒り 暴力 抑制 利己的な私

t f B! P L






質問

教育の一環として子供たちに、
屠殺場を見学させていくことについて、 
どう思いますか?
 
それは必要のないことだと思われますか?
 




暴力は屠殺場だけじゃない



屠殺場を見なければ、
そこで何が行われているか、わかりませんか?

わからないほど私たちの感受性は、
鈍くなっているのですか?
  
実際に人を殺す現場を見なくても、
大体の人が殺すことはいけないことだと、
理解しています。

傷つけられ苦む人の姿を見るまで、
あなたは人を傷つけることを、
止められないのですか?

どのように動物が殺されるか、
彼らの死にゆく姿を自分の目で見るまでは..
彼らの叫びを自分の耳で聞くまでは..
動物の命を奪うことが、
どんなに残酷なことであるか、
わからないのですか?

人間の暴力性は何も屠殺場を見学しなくても、
あなたの心を覗くだけで、
事足りるのではないですか?

記事タイトル下の写真をみて、
あなたはどう思いましたか?

息ができずに苦しんでいるか、
はたまた既に死んでしまった魚を前に、
笑顔をみせる人間の残酷さを、
しっかりと見ていますか?

このように屠殺場に行かなくとも、
私たちの暴力性・残酷さは、
至る所に見てとれます。





問いが生じた心を観察する



前回の問いが生じた心を見つめないまま、
新たな問いに夢中になっても、
問いの根っこにある、
あなたの心を観察しないことには、
心は何度も別の問いを、
生み出し続けるのではないですか?

根っこにまで遡り、
根そのものを抜き取らなければ、
小枝や葉っぱをどれだけ切っても、
新たな問題が顔を出します。





事実(残虐性・暴力性)にとどまる



動物に対するあなた自身の残酷さ・暴力性を、
直視せずそのままにして、
子供たちのことを考えてみても、
あなたの残虐性が止むことはありません。

自分はタバコを吸っているのに、
子供に「タバコは有害だ、吸うな」と言っても、
あなたの言葉に説得力はないし、
子供も聞く耳をもたないでしょうし、
またあなたの喫煙の習慣が、
改善されることもありません。

ですから子供のことを想うのなら、
あなたの暴力性・残酷さを直視して、
その一切を片付け、自分の背中で正しさを、
伝えていけばいいのではないですか?





子供の感受性・繊細さを損なわない



子供は一枚の画用紙に、
動物も自然も人も昆虫も一緒くたに、
描くことが多いらしいですが、
このことからわかるように、
子供はあらゆる命が平等だと、
大人に教わらなくてもちゃんと、
分かっているのではないでしょうか?

ただまわりの大人、教育、社会が、
動物に対する自分たちの残虐性を問うことなく、
いつまでも目を背けたままでいるから、
子供たちの生き物に対する、
感受性や繊細さ、愛情は徐々に薄れてゆき、
いつの間にか大人たちのように、
ある動物には何の愛情も、
感じなくなるのです。

つまり私たち大人が暴力的だから、
子供はその暴力性を普通と見なすようになり、
彼らも負けず劣らず、暴力的になるのです。

子供たちの繊細さ・感受性・愛情を、
台無しにしているのは、
私たち大人なのです。





まず自分が変わる



ですから暴力のない世界を望むなら、
誰のことよりもまず、
自分の暴力性に取りかからねばなりません。

しかし実際の私たちといったら、
世界を変えることには熱心ですが、
自分自身を変えることには無関心です。

ここまで読んで何か感じるところがあった方!

内なる残酷さを正当化しないで見据えて、
心から追い出しましょう。

そうすれば屠殺場がこの世界からなくなる日も、
そう遠くはないかもしれません。

私とあなたが内なる残酷さ・暴力性を、
片付けることができるなら、
他の人にだってできるはずですから!



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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