宗教・指導者・助けをなぜ求める?

2019/04/06

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なぜ外に助けを求めるのか?



聖職者・僧侶に、宗教指導者・グル・教祖に
心理学者・心理カウンセラー・セラピスト・
スピリチュアルカウンセラーに、精神科医に
政治的指導者に、社会活動家に、様々な書物に
医者に、私たちは助けてもらうことを切に願います



なぜあなたは外に助けを求めるのですか?

なぜあなたは神社に行くのですか?
なぜ教会に行くのですか?
なぜ祈るのですか?

また誰に祈っているのですか?



あなたはあらゆる分野に助けを求め
そしてあなたを助けてくれる誰かが
あらゆる分野に存在します

彼らは自らの専門分野について、
よく知っているフリをするのが非常に上手です

そうして彼らは「任せてください、助けますよ」
とあなたに手を差し伸べます

そして愚かな私たちは助けてもらいたいが為に
彼らの言葉を鵜呑みにしてその手を掴むのです

しかし彼らが私たちを助けることはできません

というか誰にも助けることなどできないのです

それは現在の私たちをよく見れば
わかることです

私たちはいま助けを必要とせずに
生きているでしょうか?

何万年もの間、私たちは助けを求めてきました
何万年もの間、私たちは誰かに従ってきました

こうして助けられきた結果が今の私たちです

自分の足で立つことができないほど
人間は弱く無責任になってしまいました



お腹が痛い・頭が痛いといっては
簡単に薬を飲みますが
その原因を自分で調べようとはしません

薬で治まればこれまでと同じ
生活に戻ります

何が原因で痛みが生じたか
考えることもなく
薬で症状を抑えるだけで
生活スタイルを見直そうとはしません

食べすぎや飲みすぎ、働き過ぎが原因なら
それを取り除くことが大事なこなのに、
すぐ医者や薬という『助け』を求め
痛みを速攻で抑えようとします

おそらく薬が痛みを取り除くでしょうが
原因を取り除いてくれるわけではないのに
私たちは表層しか見ようとせず
痛みを取り除くことだけを考えるのです




精神面においても人は外側に助けを求める



外側に助けを求めるのは何も
痛みに限ったことではありません

苦しみや悲しみを感じるとき
その感情を早く忘れさせてくれるもの
取り除いてくれるものを必死に求めますが
原因について調べようとはしません

憂鬱や怒り、感情の原因を調べることなく
精神科医やカウンセラー、占いや宗教や神に
人は『助け』を求めるのです

原因は--だと教えてくれる専門家の話を聞き
私たちは原因がわかって安堵しますが
それが本当だと何故わかるのですか?

自分の悲しみや心の傷をどうして
他人に教えてもらわなければならないのですか?

子供の頃のトラウマが鬱の原因だと
専門家に言われて彼の分析が正しいと
どうしてわかるのですか?




権威を容易に受け入れる



「君だけじゃない、多くの人が悩んでいるよ」
「君は正常だよ、心配ない」

このような専門家の言葉に
私たちは安心します。

専門家の答えに簡単に満足します

なぜなら他でもない『専門家』が言うのですから..

あなたは神を信じないかもしれませんが
専門家という神を信じているのです



このように人は権威を受け入れます

権威を問うことを殆どの人がしません。

あなたの権威は神かもしれないし
政治家や社会活動家かもしれない
書物かもしれないし科学者かもしれない

どのよう権威であろうとあなたが
外側に助けを求めていることに
変わりはないのです




頼ることで無責任になる



ある団体、ある専門家を頼って
心の問題が解決しなければ
また別の専門家に助けを求めます

洋服を着替えるように
専門家から専門家へと
次々渡り歩いているのが
現在の私たちです

悩みや身体の不調が治らないのも
社会が腐敗しているのも
私たちが利己的なのも全て
人や環境、社会のせいにします

問題を誰かに丸投げすることは
自らの行動に対する責任を
放棄することなのです

世界の問題は政治家のせい
心の問題はその専門家のせいにして
人は世界や心の問題に対して
何の責任も感じないのです

私たちが誰かに依存するとき、
自分の行動に責任を感じなくなります

誰かにたよるほどに
私たちは自分で見出す力を失い
無責任になっていきます




誰もあなたを助けられない



あなたの心の問題を助けることは
誰にもできません

彼らは助けるどころか
私たちを一人では立てなくするのです

専門家に頼ると自分の足で立てなくなる
という事実を強烈に見るなら
助けを求めることはもうありません

これまであなたを支えてきた全ての杖の
虚偽を見て取り去り自分の足で立ちます



そのときのみ私たちは
自分の行為に大きな責任が
あることを感じます

誰にも頼らず自分の足で立つとき
自分自身に対して、社会に対して
大きな責任を感じます

なぜならあらゆることが
自分にかかっているからです

誰かによりかかっていたとき、
あなたは全て人のせいにできました

しかし独りで立つあなたは全ての責任を負うのです

自分の一歩一歩に責任があることを感じます

専門家に責任を押し付けるのではありません

誰にも頼れないことを洞察するとき
あなたにすさまじいエネルギーが沸き上がります




あらゆることに気づいている精神



誰かをあてにした精神は怠慢ですが
誰も助けられないことに気づいた精神は
これまでのように眠り込んではいません


精神はもう弱々しくはありません

機敏な精神は人と接するときの
自分の態度や声のトーン、
話し方すべてに注意を払います

相手に全身全霊で向き合います

このように全てに気づいている精神には
書物や指導者にたよる必要はありません

鋭い精神は内部の感情に気づいているので
内部を理解することができるからです

自らの内部を理解するとき、
私たちは外に助けを求める必要はないのです


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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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