A あの世があるかないかなんて、死なないとわからないし、
神が存在するかしないかも、証明しようがないのに、
考え方の違いで対立するのは実にバカバカしく、
愚かではありませんか?
私 仰る通りです
無神論者は有神論者と必ず対立し、輪廻転生を信じる人は、
信じない人と必ず対立するので、対立した時点で互いのことを、
理解することはできなくなります。
分離のあるところには必ず対立が生じる、
ということを本当に理解するなら、
意見や信仰、主義や観念を大事に抱えて、
他と議論を闘わせることはないでしょう
A まあ、人間は愚かですからね。
自分と違う考えの人を容認できる人ばかりではないのです。
私 あなたは考え方の違いで対立することは、
愚かだと理解していますが、
意見を持つことの危険を見てはいないようです。
自分と違う考えの人を容認できたら、それでいいのですか?
異なる意見をもつ人を容認できたら、
その相手を理解できなくてもいいのですか?
異なる意見をもつ人を、あなたは理解できますか?
容認できないことが、対立の原因でしょうか?
それとも意見をもつから、人は対立するのでしょうか?
私たちがそれぞれ意見をもつから対立する、
あるいは対立までいかなくとも、
互いを理解し合えなくなるのではないですか?
A 異なる意見の人を尊重できれば対立することはないので、
意見を持っていてもいいと思います。
寛大であることが鍵だと思います。
私 異なる意見をもつ人を容認するというのは、
相手を非難しまいとしているだけのことであり、
これのどこが寛大なのですか?
意見が分かれた時点で相手を理解しようとする、
あなたの情熱はどこかへ行ってしまいませんか?
意見が分かれた時点で相手を理解することを、
諦めてしまいませんか?
異なる意見を持つ人を受け入れるというのは、
相手を自分の世界から閉め出すことに他なりません。
「そんな考え方もあるのか」と言うとき私は、
自分の分類箱にはなかった箱を新たに追加して、
その中にあなたを入れてそれでおしまいです。
私はあなたを決して受け入れてなどいないし、
理解しようともしていません。
理解不能というシールを貼ったボックスに、
あなたを閉じ込めただけです。
スルーすることは、寛大でも何でもありません。
『自分はできた人間だから、
あなたを決して非難はしないが、
自分の正しさを信じて疑わない』
このどこに寛大さがあるというのでしょうか?
こっちも批判しないからそっちもよろしくね、
という暗黙のうちの協定が寛大さなのですか?
自分が好きなものを他の人は好きになれない、
というだけのことを巡って世界では、
ありとあらゆる流血が起こっています。
この事実をしっかり見てとるなら、
他者との間に分離を生むものの危険を理解して、
あなたはこの一切を手放すのではないですか?
意見・結論・プロパガンダ・信仰・観念が、
私とあなたを分つと理解したなら、
私たちはこれらを速攻で手放しませんか?
無神論者と有神論者が対立するのは愚かだ、
という部分的理解で終わらずに、
意見や信仰が対立の原因であることを洞察して、
あなたの意見や信仰を捨てましょう。
意見・結論・プロパガンダ・信仰・観念で、
凝り固まったあなたの心を解放しましょう。
自由な心だけが、寛大さを持つことができます。
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