寛容になろうとする狭量な精神が、異なる意見を受け入れる

2020/04/11

思考 比較 分離 理解 洞察 事実

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A あの世があるかないかなんて、死なないとわからないし、
  神が存在するかしないかも、証明しようがないのに、
  考え方の違いで対立するのは実にバカバカしく、
  愚かではありませんか?


私 仰る通りです
  無神論者は有神論者と必ず対立し、輪廻転生を信じる人は、
  信じない人と必ず対立するので、対立した時点で互いのことを、
  理解することはできなくなります。

  分離のあるところには必ず対立が生じる、
  ということを本当に理解するなら、
  意見や信仰、主義や観念を大事に抱えて、
  他と議論を闘わせることはないでしょう




A まあ、人間は愚かですからね。
  自分と違う考えの人を容認できる人ばかりではないのです。


私 あなたは考え方の違いで対立することは、
  愚かだと理解していますが、
  意見を持つことの危険を見てはいないようです。

  自分と違う考えの人を容認できたら、それでいいのですか?

  異なる意見をもつ人を容認できたら、
  その相手を理解できなくてもいいのですか?

  異なる意見をもつ人を、あなたは理解できますか?
  容認できないことが、対立の原因でしょうか?

  それとも意見をもつから、人は対立するのでしょうか?

  私たちがそれぞれ意見をもつから対立する、
  あるいは対立までいかなくとも、
  互いを理解し合えなくなるのではないですか?




A 異なる意見の人を尊重できれば対立することはないので、
  意見を持っていてもいいと思います。

  寛大であることが鍵だと思います。


私 異なる意見をもつ人を容認するというのは、
  相手を非難しまいとしているだけのことであり、
  これのどこが寛大なのですか?

  意見が分かれた時点で相手を理解しようとする、
  あなたの情熱はどこかへ行ってしまいませんか?
  
  意見が分かれた時点で相手を理解することを、
  諦めてしまいませんか?

  異なる意見を持つ人を受け入れるというのは、
  相手を自分の世界から閉め出すことに他なりません。


  


   「そんな考え方もあるのか」と言うとき私は、
  自分の分類箱にはなかった箱を新たに追加して、
  その中にあなたを入れてそれでおしまいです。

  私はあなたを決して受け入れてなどいないし、
  理解しようともしていません。

  理解不能というシールを貼ったボックスに、
  あなたを閉じ込めただけです。

  スルーすることは、寛大でも何でもありません。

  『自分はできた人間だから、
   あなたを決して非難はしないが、
   自分の正しさを信じて疑わない』

  このどこに寛大さがあるというのでしょうか?

  こっちも批判しないからそっちもよろしくね、
  という暗黙のうちの協定が寛大さなのですか?




  自分が好きなものを他の人は好きになれない、
  というだけのことを巡って世界では、
  ありとあらゆる流血が起こっています。

  この事実をしっかり見てとるなら、
  他者との間に分離を生むものの危険を理解して、
  あなたはこの一切を手放すのではないですか?

  意見・結論・プロパガンダ・信仰・観念が、
  私とあなたを分つと理解したなら、
  私たちはこれらを速攻で手放しませんか?

  無神論者と有神論者が対立するのは愚かだ、
  という部分的理解で終わらずに、
  意見や信仰が対立の原因であることを洞察して、
  あなたの意見や信仰を捨てましょう。

  意見・結論・プロパガンダ・信仰・観念で、
  凝り固まったあなたの心を解放しましょう。

  自由な心だけが、寛大さを持つことができます。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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