実際の自分自身から離れて何かになろうとするとき、
エネルギーを浪費します。
私が嫉妬しているとします。
このとき嫉妬しているということだけが、
実際に起こっています。
しかし私は自分の嫉妬を正当化したり分析したり、
抑え込もうとしたり批判したり落ち込んだりします。
このようにしているとき私は自分の嫉妬から離れて、
思考に夢中になっているので、
嫉妬しているという事実から離れて思考に逃避しています。
こうして思考は勢いを増して理想の自分なるものを築き上げ、
今度は理想の自分を追い求めることに逃避するのです。
しかし事実から逃避しても、どんな理想を追い求めても、
嫉妬しているという事実は変わりません。
私は以前として、嫉妬深いままなのです。
起こっていることを見つめて理解するかわりに、
概念で自らを一杯にして事実から離れます。
起こっていることに完全に気づいていることさえできれば、
嫉妬はなくなります。
自分の嫉妬と向き合えば、嫉妬はなくなるのです。
観察の炎が、嫉妬を焼き尽くすからです。
しかし私たちはそのようにはしません。
事実を見つめるかわりに嫉妬をなくす方法を探し求めて
あらゆる類いの書物を読みあさります。
コントロール方法を教えてくれる専門家を求めて彷徨います。
このように私たちは自分の嫉妬と向き合わず、
自分の外側に助けを求めて事実から逃避します。
これでは嫉妬と向き合うことはできません。
必要なのは嫉妬に向き合うこと、嫉妬を観察することです。
事実から逃避するから事実を注意深く観察しないから、
事実=嫉妬は存在し続けるのです。
純粋な観察が嫉妬を焼き尽くします。
嫉妬をなくそうと何らかの方法を求めたり、
嫉妬する自分自身を批判したり正当化することに
エネルギーを浪費しないとき、
事実の観察にそのエネルギーが向けられます。
この純粋な観察が、嫉妬を焼き尽くすのです。
レンズで光を集めると紙を焦がすことができるように、
全的な注視が嫉妬を焼き尽くします。
何かに夢中になっているとき、我を忘れます。
何かに没頭しているとき、あなたに何が起こっていますか?
あなたは好きなことに、完全に夢中になっています。
そのことに全身全霊を傾けています。
このとき、あなたの中心は不在です。
あなたがいつも「わたし」と呼んでいる存在は
そこにはいません。
あーだこーだと横やりを入れる思考は、止まっています。
同じようにあなたの全エネルギーで嫉妬を注視する時、
あなたの中心は止みます。
全エネルギーを傾けるときはいつでも、中心は止むのです。
あなたの中心である「わたし」が嫉妬を感じていたので、
中心が止んだ今、嫉妬は存在しません。
あなたの中心が嫉妬を感じていたわけですが、
中心が不在のときに感じる感覚は
これまでの嫉妬とは全く異なります。
これは実際にやってみないとわかりません。
ご自身で試して下さい。
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